前回は「戦艦大和のペーパークラフト作成 2〜日本の科学技術力と戦艦・空母・空母大国日本・船体の曲線と模型・戦艦大和艦首・菊の紋章〜|第二次世界大戦」の話でした。
戦艦大和の甲板と骨組
戦艦大和の甲板が出来ました。
主砲などがまだありませんが、甲板だけでも「戦艦大和の風格」を感じます。
そして、戦艦大和の船体をしっかり支える、骨組を作成します。
上記のような、ペーパーで井桁状に組んでゆきます。
ペーパークラフトだけに、この骨組も当然紙ですが、折った紙は思ったよりも頑丈です。
骨組と注水区画
それぞれの紙を折って、しっかりとしたパーツをつくり、井桁にしてゆきます。
骨組が出来ました。
戦艦大和の船体に接着します。
すっきりと納まりました。
これで、船体が左右から少し力を受けても、がっちりしています。
これは、戦車を作成したときには、なかったパーツです。
戦艦大和の複雑な曲面を再現しているだけに、その曲面が曲がらないように工夫されています。
ペーパークラフトを頑丈にするための、この骨組みは見方によっては、船室に分かれているようにも見えます。
様々な区画があって、長官室や司令部があるように見立ててもよさそうです。
あるいは、区画部分となり、攻撃を受けた際に「注水」出来るようなイメージにもなります。
菊水一号作戦:戦艦大和の海上特攻
真珠湾奇襲攻撃直後に進水・完成し、連合艦隊となった「日本海軍の希望の星」戦艦大和。
「日本海軍の希望の星」を超えて「日本の希望の星」でした。
ところが、時代は「戦艦から空母へ」移り変わる過渡期。
戦艦大和は、日本特有の
大和に何かあっては、
大問題だ!
という発想と「航空戦への対応」のため、想定されていたより遥かに活躍の場がありませんでした。
ミッドウェー海戦では、第一航空艦隊の遥か後方で「何もせず」に内地へ戻りました。
その後、活躍の場がないまま、レイテ沖海戦を迎えました。
レイテでは、栗田長官の「謎の反転」により、大打撃を受けながらも「反転した」大和。
そして、終戦間際の1945年4月に「菊水一号作戦」が発令されました。
「戦艦大和以下の水上部隊の特攻」でした。
これは、
我が海軍も陸軍と共に、
航空機で特攻攻撃を続けている!
もはや「特攻攻撃しかなかった」日本軍。
神風特別攻撃隊の名称があるものの、「特別攻撃」ではなく「通常攻撃」となっていた日本軍。
その中、
航空隊が特攻しているのに、
残っている艦艇が「何もしない」わけにはいかない!
という発想によって、「海上特攻作戦」を率いて、沖縄めがけて突入を試みた戦艦大和。
予想通り、米軍の多数の空母から発艦した航空機の雷撃・爆撃を雨のように受け、撃沈されました。
この菊水一号作戦の時は、
もはや、注水しようが、しまいが
結果は同じ・・・
状況だったかもしれません。
それでも、戦艦大和の注水区画や砲弾庫を思わせる骨組は、実に本格的です。
これで、ガッチリして魚雷を受けても大丈夫そうな戦艦大和。
ガッチリしたイメージが喚起され、歴史群像の編集部の「戦艦大和への思い」を感じます。
引き続き、甲板を貼ってゆきます。
主砲の三カ所を設置する場所、艦橋を設置する中央部分が出来てきました。
これで一気に戦艦大和に近づいてきました。
次回は、中央部分の作成を進めてゆきます。
次回は上記リンクです。