戦艦大和の模型作成 4|第二次世界大戦

前回は「戦艦大和の模型作成 3」の話でした。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

史実では、1945年4月7日に、米軍の空母艦載機に撃沈された戦艦大和。

戦艦大和(Wikipedia)

この時は、戦艦武蔵を撃沈した際に学んだ米軍が、片側を集中攻撃しました。

魚雷8本、爆弾5本を受けて沈んだ「世界最強の戦艦」でした。

その「頑丈さ」を模型を作りながら感じてゆきたいと思います。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

続けて甲板を貼ってゆきます。

大和後部の甲板は、飛行機などが着陸できる場所でした。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

非常に細かく描かれていて、歴史群像編集部の「戦艦大和」へかける思いが伝わってきます。

上の写真で少し右の方が曲がってしまいました。

実は、小学生の子どもと一緒に作成したので、子どもに任せた部分は少し歪になっています。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

また小さなパーツが出てきました。

この鉛筆と同じくらいのパーツは、カッターで切るのも、なかなか手間がかかります。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

丸い鉛筆でしならせて、機銃の架台が出来ました。

竣工した時は、航空戦の発達前で、対空砲火の機銃は少なめだった戦艦大和。

真珠湾奇襲攻撃で、日本海軍は「航空隊の強さ」を見せつけます。

対する米軍は、当初は空母を多数有する精強な日本海軍相手に押され続け、空母を大量生産します。

「戦艦から航空隊へ」の流れの中、戦艦大和の側面には多数の機銃が次々と設置されました。

ペーパークラフト「戦艦大和」(歴史群像2021年 8月号 学研)

大和の防空要となる部分を作ってゆきます。

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