前回は「戦艦大和の模型作成 3」の話でした。

史実では、1945年4月7日に、米軍の空母艦載機に撃沈された戦艦大和。

この時は、戦艦武蔵を撃沈した際に学んだ米軍が、片側を集中攻撃しました。
魚雷8本、爆弾5本を受けて沈んだ「世界最強の戦艦」でした。
その「頑丈さ」を模型を作りながら感じてゆきたいと思います。

続けて甲板を貼ってゆきます。
大和後部の甲板は、飛行機などが着陸できる場所でした。

非常に細かく描かれていて、歴史群像編集部の「戦艦大和」へかける思いが伝わってきます。
上の写真で少し右の方が曲がってしまいました。
実は、小学生の子どもと一緒に作成したので、子どもに任せた部分は少し歪になっています。

また小さなパーツが出てきました。
この鉛筆と同じくらいのパーツは、カッターで切るのも、なかなか手間がかかります。

丸い鉛筆でしならせて、機銃の架台が出来ました。
竣工した時は、航空戦の発達前で、対空砲火の機銃は少なめだった戦艦大和。
真珠湾奇襲攻撃で、日本海軍は「航空隊の強さ」を見せつけます。
対する米軍は、当初は空母を多数有する精強な日本海軍相手に押され続け、空母を大量生産します。
「戦艦から航空隊へ」の流れの中、戦艦大和の側面には多数の機銃が次々と設置されました。

大和の防空要となる部分を作ってゆきます。