築城の先達・明智光秀の美しき水城・坂本城〜裏切り者明智への視線・山城が主流だった戦国期の城郭・信長の岐阜城と安土城〜|今治城10・伊予

前回は「「際立った美」を持つ今治城〜裏切り続けた東堂家・「強き者が世を治めるのは当然」の高虎流処世術・加藤清正との違い〜」の話でした。

目次

山城が主流だった戦国期の城郭:信長の岐阜城と安土城

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今治城(新歴史紀行)

水城、というよりも、瀬戸内海と接続した日本でただ一つの「水海城」である今治城。

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今治城(新歴史紀行)

1602年に藤堂高虎によって築城された水城は、当時はレアな形式でした。

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岐阜城見上げ(新歴史紀行)

戦国時代中期までは、城といえば山城が中心でした。

領国の略中央部に位置する、支配する大名が「周囲を睥睨する」ように立つ城が最も多いタイプでした。

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左上から時計回りに、戦国大名 織田信長、徳川家康、上杉謙信、武田信玄(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)
織田信長

この信長の本城は、
尾張の清洲城から小牧山城へ移動し・・・

織田信長

美濃を併呑した後は、
斎藤氏に倣い、稲葉山城を拠点とする!

織田信長

そして、この稲葉山城を
今後は岐阜城と呼ぶ!

織田家は、その勃興期において、岐阜城となった山城・稲葉山城を拠点としました。

岐阜城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

上杉謙信

この謙信の
本拠地も山城だ!

平地である関東地方に、「関東管領」として度々殴り込みをかけていた上杉謙信。

結局、謙信はどこまでも「越後の王」であり続け、稲葉山城から動きませんでした。

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織田信長の本拠地移転(新歴史紀行)

そして、織田家の影響力が強まった上で、

織田信長

次は、近江に
安土城を築く!

武田氏に長篠の戦いで痛撃を与えた1575年の翌1576年から、信長は安土城築城を指示しました。

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安土城から琵琶湖を望む(新歴史紀行)

琵琶湖に程近い安土城は、「水城に近い」形式とも言えます。

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安土城図(歴史人2016年12月号KKベストセラーズ)

琵琶湖は逐次埋め立てられたため、信長のころは、さらに琵琶湖と密接に繋がっていた安土城。

その一方で、上の絵を見ても、安土城は、水城というよりも山城であるのが明白です。

織田信長

織田家の影響力を
周囲に見せつけるのだ!

おそらく、信長の発想はこのように「山城的発想」だったでしょう。

安土城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

武田氏は平城である躑躅ヶ崎館、北条氏もまた平城・小田原城を拠点としました。

戦国中期までは、「山城が主流で、ついで平城」と言えそうです。

築城の先達・明智光秀の美しき水城・坂本城:裏切り者・明智への視線

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坂本城のイメージ(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

戦国期中期において、著名な水城に坂本城があります。

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織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

坂本城は本能寺の変後の明智家滅亡の際に、灰燼に期してしまい、資料も遺跡も極めて少ないです。

そのため、坂本城に関する上のイメージ図は、多分に想像によるものです。

明智光秀

新たな世に向けて、
新たな城をつくるのだ・・・

築城二巨頭(新歴史紀行)

・加藤清正

・藤堂高虎

築城術において、「築城二巨頭」の先達格であった明智光秀。

光秀は、坂本城、亀山城などの名城を築城しました。

明智光秀

籠城にも耐え、
典雅な城にするのだ・・・

このように考えたに違いない光秀。

光秀の築城術に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

延暦寺の起源にも関わり、特別な地であった坂本。

延暦寺に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

この美しい水城の起源である坂本城は、本来もっと模倣されるべきでした。

ところが、

戦国武将A

明智、と言えば
裏切り者だからな・・・

戦国武将A

裏切り者の城は
模倣しても仕方ない・・・

このようなイメージで、「坂本城の水城の美」は広まらなかったと考えます。

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