前回は「明智光秀 9〜奮う光秀 1〜」の話でした。

今回は光秀の築城術・街づくりに関する話です。
後世、築城に優れた武将として加藤清正、藤堂高虎などがいます。

明智光秀は、彼らをも凌ぐ、抜群の築城術を持っていました。

光秀がどのような過程で、この技術を身につけたのかは謎に包まれています。
織田家に仕官する前の朝倉家などにいた頃に、なんらかの城か砦の築城に関わっていたのか。
あるいは、様々見聞を広めた過程で身につけたのかもしれません。

たくさんの城を
見てきた。
「見聞を広める」ことによって、ある種の素養が磨かれて、デザイン性を高まるかもしれません。



城と言っても、
砦のような規模の建築も多いが・・・



実に多くの城を、
この目で見てきたのだ。
しかし、「様々な城を見て回る」だけでは、築城に関する具体的技術力が磨かれるとは考えにくいです。
具体的な設計・計画は、大工に任せていたとしても、縄張りには、ある程度の技術とセンスが必要です。



技術とセンスにも
磨きをかけてきたのだ!
近江坂本城のイメージです。


坂本城は琵琶湖に面することもあり、非常に優美な水城というイメージで作られています。
秀吉の長浜城も、同様に琵琶湖畔に築城されました。


当時、水運が重要であったため、琵琶湖の水運を生かすために、「湖畔に築城」したのでした。


長浜城は築城当時、「湖畔に突き出していた城」という説もあります。


しかし、この坂本城は「湖畔に突き出した」というよりも「湖に建築した」とも言える城です。



水運だけでなく、
湖をデザインに取り込んだのだ!
当時他に類例が、ほとんどなかったでしょう。





キンカン頭め。
妙な才能をもっておるな。



坂本城は優美な城よのう。
その独創的な芸術的センスから、光秀を「未来都市を創った男 」と呼んでも良いでしょう。