前回は「織田信長が若き日に「神頼みした」熱田神宮〜周囲を敵に囲まれていた織田家・宿敵の斎藤家と今川家・「余は神である」と言い放った信長〜|戦国時代・尾張の織田家」の話でした。
熱田神宮の信長塀:若き信長が神頼みした記念の地
熱田神宮にある「信長塀」は、桶狭間の戦いで大勝利した信長が奉納した塀です。
織田信長及び織田家のみならず、日本の歴史を大きく変えた桶狭間の合戦。
今川軍を
叩き潰すのだ!
自ら陣頭に立って、幾多の合戦を繰り広げてきた織田信長。
熱田神宮に
祈るのだ!
その軍事能力は極めて高く、上杉謙信や武田信玄と伍す、というよりも彼らより上であると考えます。
いわば軍神を超えた「超軍神」であった織田信長。
「桶狭間」以前には、尾張における小規模な合戦で勝ち続けていました。
この尾張における合戦で、着実に「合戦の勘」を磨き上げていった信長。
我が軍は総動員しても
4,000ほど・・・
対して、今川軍は
25,000ほど・・・
今川義元を
奇襲せよ!
そして、本当に「今川義元の首を獲る」という偉業を成し遂げたのでした。
この「軍勢がはるかに多い圧倒的有利な軍の大将が討たれる」というのは、戦国史でも限られた重大事件でした。
これで、ようやく今川からの
圧迫が除去できた・・・
長年、東の強大な大名であった今川家の圧迫を受け続けていた織田家の大いなる反撃でした。
のちに傲慢になってゆく信長ですが、よほど嬉しかったのでしょう。
熱田神宮に
感謝せねば!
神を目指した織田信長と熱田神宮
安土城を建築している頃には、「織田の天下」が確定しつつありました。
その頃に、
我は
神なり!
唐突に「自分が神である」と言い出した織田信長。
流石にこの頃の信長の姿勢には、家臣団も驚いたでしょう。
天下の形成が固まりつつある頃、信長は、
余が日本を
統一し、海外へと攻め込む!
信長らしい明確なヴィジョンを持っていました。
具体的には、のちに秀吉が「継承した」朝鮮や明国への出撃を考えていたでしょう。
朝鮮侵攻に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
その織田信長が、まだ20代だった頃に「戦国の世に躍り出る」きっかけとなった桶狭間の戦い。
後の天下人である青年武将・織田信長に、後の豊臣秀吉となる若き羽柴秀吉が出陣しました。
さらに、徳川幕府初代将軍となる徳川家康(松平元康)まで関わっているこの戦い。
天下人三名が若き頃にオール参加した「稀有な戦い」にも関わらず、具体的な合戦の内容は諸説あります。
桶狭間の戦いにおける様々な謎の話を、上記リンクでご紹介しています。
「日本史上最大の人物」の最有力候補である、天才・織田信長。
その信長は、元々の性格もあるでしょうが、元亀・天正の戦いを乗り越えてゆく過程で肥大化してゆきました。
私が
全てなのだ!
余が神であり、
天皇はどうでもよいのだ!
その織田信長ですが、若き頃の、桶狭間の戦いでの快勝においては、
熱田神宮の
ご利益のおかげです!
と塀を奉納したのでした。
元々、朝廷への多額の寄進をおこなっていた織田家。
それだけに、神宮の神に対して「お礼を申し上げる」気持ちは、本心にもあったでしょう。
当時も今も、尾張地域で非常に有力な神宮である熱田神宮。
熱田神宮の影響力を
我が織田家に・・・
その「絶大な影響力」を取り込みたかったこともあるでしょう。
比較的簡素な木造建築ですが、神宮の風格を忍ばせてくれる建築です。
今も昔も、こうして「神宮にお願いする」たくさんの人たち。
その中に、かつての織田信長がいました。
周囲には関係すると思われる神社もあり、熱田神宮の影響力が分かります。
1560年に勃発した「桶狭間の戦い」は、戦国時代の勢力図を大きく変容させたのでした。
あの戦いがなかったら、後の織田家・織田信長の躍進はなかったのです。
そして、武田信玄・北条氏康・今川義元の甲相駿三国同盟が続いた時、戦国の世は変わったでしょう。
無宗教者・信長の宗教観と一向一揆
戦国時代の寺社勢力というと、顕如が率いた一向宗がすぐに浮かびます。
仏敵・織田信長を
討滅せよ!
織田信長の「最大の敵」となった本願寺。
「神・仏などなんとも思わない」印象の織田信長ですが、好んで敵対勢力を増やしたいはずはありません。
本願寺とも
上手くやれたら・・・
それは
それで良い・・・
私は、熱田神宮などの
神社とは良好な関係を持ってきた・・・
しかし、
宗教が国を収めるのは頂けない!
信長は、本願寺との間で「上手く織田家が上に立つ」方策を考えていたのでしょう。
まずは、
大坂の地が欲しい・・・
あのような良い場所を、
本願寺が保有しているのがおかしい!
大坂の地を
私に渡してください!
これに、本願寺・一向宗門徒は怒り心頭となってしまいます。
おのれ!
信長め!
我らを
なんと思っているのだ!
そして、10年以上に渡る織田と本願寺・一向一揆の長い戦いとなりました。
熱田神宮を訪問すると、「無宗教者」であった織田信長の宗教観が垣間見えます。
ぜひ訪問してください。
次回は上記リンクです。