松山城のたそがれ 7〜文禄・慶長の役〜

前回は「松山城のたそがれ 6〜豊臣家の水軍の柱〜」の話でした。

松山城(新歴史紀行)

松山城は、比較的小規模ですが、しっかりと作られた味わい深く、質実剛健な感じの城です。

内部の木造の構造もまだ残っていて、往時の雰囲気がよく分かります。

武勇だけでなく、軍略の才能もあった加藤嘉明。

加藤 嘉明(Wikipedia)

秀吉に仕えて15年ほど経ち、豊臣秀吉が天下を統一しました。

豊臣 秀吉(Wikipedia)

やっと平和になった。

次は朝鮮・明だ!

えっ!

せっかく天下泰平になったのですが、秀吉は

朝鮮と明を
我が手に!

日本を全国統一した余勢をもって、中国大陸へ乗り込むことを決めます。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この「中国大陸への侵攻」は、かつて「織田信長が考えていた」という説が有力です。

信長様の
子どもは排除したが・・・

私こそが、
信長様の成し遂げなかったことを実行する!

本来ならば「戦乱の世が終わって安心」ですが、まだまだ若い加藤嘉明。

我が水軍の活躍を
見せてやる!

そして、我が
加藤家を飛躍させてみせる!

加藤嘉明は大いに奮います。

こうして、小早川隆景・小西行長らと水軍を率いて、文禄・慶長の役を戦います。

小早川 隆景(Wikipedia)

陸でも大活躍した小早川隆景や小西行長と比較して、加藤嘉明は水軍中心。

小西 行長(Wikipedia)

後方支援か・・・

順調に挑戦を突き進む加藤清正たち。

加藤 清正(Wikipedia)

水軍と言っても、兵站線を担う後方支援活動がメインとなりました。

しかし、兵站線こそが
戦の要!

私が水軍をまとめているからこそ、
陸で虎之助(加藤)や隆景殿が安心して戦えるのだ!

私がいるから、
陸で勝ち続けているのだ!

軍需物資の輸送手配は、主に石田三成らの奉行が起案します。

しかし、それを実行して「兵站線を堅実なものにした」加藤嘉明たちの功績は非常に大きいです。

朝鮮軍は、もっと強力だと
思っていたが・・・

楽勝だ!

元々は中国大陸からの文明を日本なりに解釈し、独自の文化・文明へと飛躍させてきた日本。

朝鮮を含む中国大陸は、いわば歴史的には兄弟のような存在であり、見方によっては、「向こうが兄」とも言えます。

そのため、朝鮮の力は非常に高く評価していた日本軍。

意外にも、加藤清正・小西行長らが率いる日本軍は、猛烈な勢いで突き進みます。

まさに破竹の勢いだった日本軍。

これは、勝てるぞ!

朝鮮軍を蹴散らす日本軍。

後方支援中心と思っていたところに、明の大軍が攻め寄せてきました。

そして、新たに朝鮮水軍を率いてきた優れた人物こそ、李舜臣でした。

李舜臣(Wikipedia)

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