伊藤博文「大久保暗殺は西郷の為の復讐」〜混沌とした明治初期の時代・日本人の頭脳身体の根幹まで浸透した封建体制・幕府からの政体変化〜|伊藤公直話11・エピソード

前回は「内外多発の「民選議院設立」建白と揺れる明治政府〜封建から立憲政体へ・薩摩と長州両派閥を背景とした伊藤博文・明治初期に人材不足に陥った長州〜」の話でした。

目次

日本人の頭脳身体の根幹まで浸透した封建体制:幕府からの政体変化

New Historical Voyage
小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)

おそらく伊藤博文が晩年に語った話を中心に編纂した「伊藤公直話」。

伊藤は、大久保利通・木戸孝允・岩倉具視らに関して、赤裸々に語っています。

中でも、大久保利通に対しては、「師匠に対する親愛」が感じられる語り口です。

New Historical Voyage
明治六年の政変で下野した人物たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、後藤象二郎、板垣退助、江藤新平(国立国会図書館、Wikipedia)

明治六年の政変で、西郷隆盛・江藤新平・後藤象二郎・板垣退助らが一斉に下野しました。

その後、板垣退助・後藤象二郎は、明治政府と融和路線を歩む時期もありました。

対して、江藤新平は佐賀の乱、西郷隆盛は西南戦争で消えてゆきました。

この中、大久保率いる明治政府は、

伊藤博文

大久保公の意見も、つまり君権を定めて、
民権を限るというにあった。

「君権定めて、民権限る」方針で、憲法制定に突き進みました。

伊藤博文

けれども、いずれにしても、
まだ、どうも研究が足らぬ。

伊藤博文

政体を定めるということは、国体に関係を
持つのであるから、十分に過去を明らかにし・・・

伊藤博文

将来を慮って、これならば確かに日本に適し、
国家を利するという安心の出来るまでは・・・

伊藤博文

予も容易に左担し
得られなかった。

New Historical Voyage
徳川将軍たち:左上から時計回りに、徳川家康、徳川家光、徳川慶喜、徳川吉宗(Wikipedia)

長く、「征夷大将軍による幕藩体制」が続いてきた当時の日本。

徳川家康

これからは平和の
時代が続くのだ!

徳川家康

そして、その平和な時代は
この徳川家が代々生み出すのだ!

1603年に徳川家康が征夷大将軍に就任し、「徳川幕府」を設立しました。

当時は「幕府」という言葉はなかった説が有力で、「幕府」という言葉は明治初期以降の説が強いです。

まさに江戸時代真っ只中は、徳川将軍は「大公儀」と呼ばれることが多かったようです。

いずれにしても、1868年の明治維新まで270年近く封建体制が続いた日本。

日本の歴史の骨格を大きく形づくり、「封建体制」は日本人の身体の根幹まで浸透していました。

伊藤博文「大久保暗殺は西郷の為の復讐」:混沌とした明治初期の時代

新歴史紀行
大久保利通 内務卿(国立国会図書館)
伊藤博文

大久保公の紀尾井坂での
刺客の難に逢われたのは・・・

伊藤博文

つまり、西郷の為の
復讐であった。

そして、伊藤公直話では、一気に大久保暗殺の話に飛びました。

ここで、はっきりと伊藤は「大久保暗殺は西郷の復讐」と明言しています。

新歴史紀行
西南戦争の銃弾跡(新歴史紀行)

1877年に勃発した西南戦争の翌年、1878年に大久保利通は暗殺されました。

西南戦争に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

伊藤博文

十年の戦争の時、
西郷に与した徒が、

西郷党K

彼の忠臣を
殺した!

伊藤博文

という恨みから来たもので、固より大久保公は、
あんなことになろうとは思っておられなかった。

「政府の挑発」から始まった、と語られることが多い西南戦争。

中原尚雄

「ボウズヲシサツセヨ」との
命令を受けた・・・

旧薩摩藩士S

ふざけるなよ!
お前ら!

最も語られることが多いのは、「シサツ」とは「視察」だったのか「刺殺」だったのか?、です。

隠語人物・組織
坊主西郷隆盛
かつおぶし桐野利秋
花手拭い別府晋介
首長大山綱良
黒砂糖島津久光
西の窪大久保利通
川崎屋川路利良
一向宗私学校
明治政府の隠語(「西郷隆盛 順逆の軌跡」栗原隆一)

明治政府は、西郷党一派などに対して監視を続け、上記のような隠語で報告していました。

上の隠語は、公式資料ではなく書籍からの引用ですが、筆者は「事実」と考えます。

西南戦争の隠語に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

伊藤は、大久保が「あんなこと(西南戦争)になるとは思っていなかった」と伝えています。

この点は、「大久保党」であり、西郷を大して評価していなかった伊藤の言葉であり、注意が必要です。

その一方で、確かに、あれほど巨大な大内戦になるとは「思ってなかった」のは事実と考えます。

「伊藤公直話」には記載ありませんが、西南戦争勃発時に大久保が、

大久保利通(架空)

やむを得ん!
私が西郷と直談判しよう!

伊藤博文

それは
おやめ下さい!

「西郷と直談判を望んだ」時に、「大久保・西郷の直談判を止めた」のが伊藤と言う説があります。

この話は、伊藤が「晩年に側近に語った」話として、伝わっています。

New Historical Voyage
明治六年の政変:左から反時計回りに、陸軍大将 西郷隆盛、陸軍少将篠原国幹、同 桐野利秋

この点は真偽は定かでありませんが、多数の資料で、西郷は「決起に反対だった」事実があります。

さらに、西南戦争前年の1876年までは、西郷のみならず、

私学校生徒

各地で反乱が起きている今、
今こそ決起すべきです!

篠原国幹

今は
その時ではない・・・

桐野・篠原までもが、「部下たちに決起を迫られていた」事実があります。

私学校生徒から「決起を迫られていた」桐野・篠原に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

とにかく、明治十年の頃は混沌としていました。

そして、その混沌から、一気に巨大な大内戦に至ってしまった、のが真相であると考えます。

New Historical Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次