前回は「西郷と大久保の仲介役を目論んだ川村純義〜政府内の数少ない「大久保党」・「最後まで薩摩藩士」だった西郷隆盛と私学校党〜」の話でした。
大久保利通と川路利良が使用した「凄まじい隠語」:坊主と一向宗と黒砂糖

岩倉具視に関する話をまとめた「岩倉公実記」という名の書籍。
岩倉公実記・下巻には、西南戦争初期の話が詳細に記載されています。

川路利良ボウズを
シサツせよ!
「ボウズ」とは西郷隆盛のことを指し、「シサツ」に対して、私学校生徒は激怒しました。



西郷先生を
刺殺する、だと!



これは、大久保と川路の
陰謀だな!



絶対に
許せんな!
激怒を超えて、激昂してしまった私学校の生徒たちは、政府の武器弾薬庫を襲いました。



何者とも分からぬ連中が
小銃弾薬を奪取しました!



別に「私学校の連中」と言わなくても、
一蔵(大久保)は分かるだろう・・・
時の「西郷党」であった大山県令(県知事)は、大久保内務卿に、こう報告しました。
この「シサツ」が「刺殺」なのか「視察」なのかは、諸説あり、確実な証拠はありません。
その一方で、確かに当時の明治政府は、積極的に私学校党の撹乱を計画していたのは事実でした。



「ボウズヲシサツセヨ」との
命令を受けた・・・



ふざけるなよ!
お前ら!
そして、私学校党は、密偵であった中原たちを捕縛した結果、驚きの書類を押収したのでした。



な、なんだ、
これは!



これは、電報に使っている
隠語だな!
| 隠語 | 人物・組織 |
| 坊主 | 西郷隆盛 |
| かつおぶし | 桐野利秋 |
| 花手拭い | 別府晋介 |
| 首長 | 大山綱良 |
| 黒砂糖 | 島津久光 |
| 西の窪 | 大久保利通 |
| 川崎屋 | 川路利良 |
| 一向宗 | 私学校 |
諸説ありますが、上記のような「隠語」が記入された書類が押収されました。
「坊主=西郷」は分かりやすいですが、「かつおぶし=桐野」や「花手拭い=別府」は意味不明です。
そして、「首長=大山」はそのままで、「西の窪=大久保」は「窪=久保」なのでしょう。


面白いのは「黒砂糖=久光」で、もし、これを島津久光本人が聞いたら、



この私を「黒砂糖」
だと・・・



それを、元藩士である
一蔵(大久保)と川路が言っている、だと・・・



・・・・・
もはや激怒を超えて、無言になったと思われます。
そして、「一向宗=私学校」は、明治政府の視点がよく表れてます。



私学校の連中など
一向一揆の連中と同じよ!
これでは、私学校と明治政府が「仲良く出来る」はずはありませんでした。
とにかく、凄まじい隠語でした。
薩摩の蠢動と薩摩軍団オールスター:大久保を「止めた」伊藤博文





いかん・・・
これは何とかせねば・・・



私が、何とか
西郷さんと大久保さんの間に入ろう!



いつかは
こういう時が来ると思っていたが・・・



本当に
来てしまった・・・
この事態に慌てふためいたのは、川村純義でした。



すぐに軍艦で
薩摩へ向かう!
川村は迅速に動き、明治10年2月9日に鹿児島湾に入りました。
乗っていたのは、軍艦高尾でした。





川村大輔、私が
艦長の高尾にお乗りください!
後に連合艦隊司令長官となる、若き伊東祐亨が高尾艦長として、川村純義に随行して鹿児島に向かいました。
| 名前 | 生年 |
| 大山 綱良 | 1825 |
| 西郷 隆盛 | 1828 |
| 大久保 利通 | 1830 |
| 村田 新八 | 1836 |
| 川村 純義 | 1836 |
| 篠原 国幹 | 1837 |
| 桐野 利秋 | 1839 |
| 大山 巌 | 1842 |
| 伊東 祐亨 | 1843 |
| 西郷 従道 | 1843 |
| 別府 晋介 | 1847 |
当時、「薩長土肥」と呼ばれていましたが、「薩長・土肥」であり、「薩・長・土肥」でした。
討幕の原動力であり、圧倒的パワーを有していた薩摩が軍の中核を握っていました。
そして、その圧倒的薩摩が二つの派閥に割れてしまい、いよいよ風雲急を告げる事態となりました。



もはや
やるしかなか!
そして、「旧薩摩藩士の頭領」というよりも「薩摩軍団の大ボス」であった西郷隆盛が動く事態に対して、



なんとか、西郷さぁと
話がしたい!



私もなんとか
事態が沈静化して欲しいです・・・
当時の薩摩軍団のオールスターが集まる中、なんとか事態の沈静化を図ろうとしていました。
ここで、後に伊藤博文の回想によると、



私が吉之助さぁと
会って直接話す!
大久保利通は、西郷隆盛との「サシでの話し合い」を望んでいた、という説があります。


ここで、この頃メキメキ頭角を現していた伊藤博文は、



お、お待ち下さい!
大久保内務卿!



大久保内務卿が行かれては、
危険です!



ここは、
思いとどまってください。
必死に、大久保が「鹿児島に行くのを止めた」と回想しています。



ここで、大久保さんと
西郷さんが差し違えでもしたら・・・



政府は大変な事態と
なってしまう・・・
こう懸念した、と後に回想する伊藤博文。
もし、仮に大久保と西郷が「直接会って話す」機会が、本当に持てたら。
歴史は変わっていたかもしれません。
ただ、その可能性は「ほとんどゼロ」だったでしょう。

