大久保利通と川路利良が使用した「凄まじい隠語」〜坊主と一向宗と黒砂糖・薩摩の蠢動と薩摩軍団オールスター・大久保を「止めた」伊藤博文〜|岩倉公実記7・西南戦争・エピソード

前回は「西郷と大久保の仲介役を目論んだ川村純義〜政府内の数少ない「大久保党」・「最後まで薩摩藩士」だった西郷隆盛と私学校党〜」の話でした。

目次

大久保利通と川路利良が使用した「凄まじい隠語」:坊主と一向宗と黒砂糖

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岩倉公実記:皇后宮職御蔵版(新歴史紀行)

岩倉具視に関する話をまとめた「岩倉公実記」という名の書籍。

岩倉公実記・下巻には、西南戦争初期の話が詳細に記載されています。

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川路利良 大警視(国立国会図書館)
川路利良

ボウズを
シサツせよ!

「ボウズ」とは西郷隆盛のことを指し、「シサツ」に対して、私学校生徒は激怒しました。

旧薩摩藩士S

西郷先生を
刺殺する、だと!

旧薩摩藩士K

これは、大久保と川路の
陰謀だな!

旧薩摩藩士S

絶対に
許せんな!

激怒を超えて、激昂してしまった私学校の生徒たちは、政府の武器弾薬庫を襲いました。

大山綱良

何者とも分からぬ連中が
小銃弾薬を奪取しました!

大山綱良

別に「私学校の連中」と言わなくても、
一蔵(大久保)は分かるだろう・・・

時の「西郷党」であった大山県令(県知事)は、大久保内務卿に、こう報告しました。

この「シサツ」が「刺殺」なのか「視察」なのかは、諸説あり、確実な証拠はありません。

その一方で、確かに当時の明治政府は、積極的に私学校党の撹乱を計画していたのは事実でした。

中原尚雄

「ボウズヲシサツセヨ」との
命令を受けた・・・

旧薩摩藩士S

ふざけるなよ!
お前ら!

そして、私学校党は、密偵であった中原たちを捕縛した結果、驚きの書類を押収したのでした。

旧薩摩藩士S

な、なんだ、
これは!

旧薩摩藩士K

これは、電報に使っている
隠語だな!

隠語人物・組織
坊主西郷隆盛
かつおぶし桐野利秋
花手拭い別府晋介
首長大山綱良
黒砂糖島津久光
西の窪大久保利通
川崎屋川路利良
一向宗私学校
明治政府の隠語(「西郷隆盛 順逆の軌跡」栗原隆一)

諸説ありますが、上記のような「隠語」が記入された書類が押収されました。

「坊主=西郷」は分かりやすいですが、「かつおぶし=桐野」や「花手拭い=別府」は意味不明です。

そして、「首長=大山」はそのままで、「西の窪=大久保」は「窪=久保」なのでしょう。

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薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

面白いのは「黒砂糖=久光」で、もし、これを島津久光本人が聞いたら、

島津久光

この私を「黒砂糖」
だと・・・

島津久光

それを、元藩士である
一蔵(大久保)と川路が言っている、だと・・・

島津久光

・・・・・

もはや激怒を超えて、無言になったと思われます。

そして、「一向宗=私学校」は、明治政府の視点がよく表れてます。

川路利良

私学校の連中など
一向一揆の連中と同じよ!

これでは、私学校と明治政府が「仲良く出来る」はずはありませんでした。

とにかく、凄まじい隠語でした。

薩摩の蠢動と薩摩軍団オールスター:大久保を「止めた」伊藤博文

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海軍大輔 川村純義(Wikipedia)
川村純義

いかん・・・
これは何とかせねば・・・

川村純義

私が、何とか
西郷さんと大久保さんの間に入ろう!

川村純義

いつかは
こういう時が来ると思っていたが・・・

川村純義

本当に
来てしまった・・・

この事態に慌てふためいたのは、川村純義でした。

川村純義

すぐに軍艦で
薩摩へ向かう!

川村は迅速に動き、明治10年2月9日に鹿児島湾に入りました。

乗っていたのは、軍艦高尾でした。

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伊東祐亨 高尾艦長(国立国会図書館)
伊東祐亨

川村大輔、私が
艦長の高尾にお乗りください!

後に連合艦隊司令長官となる、若き伊東祐亨が高尾艦長として、川村純義に随行して鹿児島に向かいました。

名前生年
大山 綱良1825
西郷 隆盛1828
大久保 利通1830
村田 新八1836
川村 純義1836
篠原 国幹1837
桐野 利秋1839
大山 巌1842
伊東 祐亨1843
西郷 従道1843
別府 晋介1847
明治初期の旧薩摩藩士たち

当時、「薩長土肥」と呼ばれていましたが、「薩長・土肥」であり、「薩・長・土肥」でした。

討幕の原動力であり、圧倒的パワーを有していた薩摩が軍の中核を握っていました。

そして、その圧倒的薩摩が二つの派閥に割れてしまい、いよいよ風雲急を告げる事態となりました。

西郷隆盛

もはや
やるしかなか!

そして、「旧薩摩藩士の頭領」というよりも「薩摩軍団の大ボス」であった西郷隆盛が動く事態に対して、

川村純義

なんとか、西郷さぁと
話がしたい!

伊東祐亨

私もなんとか
事態が沈静化して欲しいです・・・

当時の薩摩軍団のオールスターが集まる中、なんとか事態の沈静化を図ろうとしていました。

ここで、後に伊藤博文の回想によると、

大久保利通

私が吉之助さぁと
会って直接話す!

大久保利通は、西郷隆盛との「サシでの話し合い」を望んでいた、という説があります。

新歴史紀行
岩倉使節団(Wikipedia)

ここで、この頃メキメキ頭角を現していた伊藤博文は、

伊藤博文

お、お待ち下さい!
大久保内務卿!

伊藤博文

大久保内務卿が行かれては、
危険です!

伊藤博文

ここは、
思いとどまってください。

必死に、大久保が「鹿児島に行くのを止めた」と回想しています。

伊藤博文

ここで、大久保さんと
西郷さんが差し違えでもしたら・・・

伊藤博文

政府は大変な事態と
なってしまう・・・

こう懸念した、と後に回想する伊藤博文。

もし、仮に大久保と西郷が「直接会って話す」機会が、本当に持てたら。

歴史は変わっていたかもしれません。

ただ、その可能性は「ほとんどゼロ」だったでしょう。

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