築城二巨頭の一人・藤堂高虎が築いた今治城〜加藤清正と二巨頭・高虎の「思い」詰まった古図面・8万石から一気に20万石へ〜|今治城5・伊予

前回は「巨大な石で作られた石垣を持つ今治城〜巨漢であった藤堂高虎今治城の目前に建つ藤堂高虎像・早々に豊臣に見切りつけた高虎〜」の話でした。

目次

築城三名人の一人・藤堂高虎が築いた今治城:加藤清正と二巨頭

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今治城(新歴史紀行)

巨大な藤堂高虎像が天守閣のすぐ脇に建っている今治城。

日本三大水城

・今治城

・高松城

・中津城

日本三大水城の一つである今治城を築いた藤堂高虎は築城三名人(名手)の一人です。

築城三名人(名手)

・黒田孝高(官兵衛)

・加藤清正

・藤堂高虎

筆者は、この三名のうち、黒田孝高は「築城の名手」というより「攻城の名手」と考えます。

そして、熊本城を築いた加藤清正は、まさに築城の名手です。

熊本城に関する話を上記リンクでご紹介しています。

筆者は、加藤清正、藤堂高虎の二人を「築城二巨頭」と考えます。

築城二巨頭(新歴史紀行)

・加藤清正

・藤堂高虎

新歴史紀行
明智光秀と羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ある意味では、付け城戦略を取った羽柴秀吉、明智光秀も築城の名手です。

特に明智光秀の坂本城は、原型の大部分が不明ですが、華麗な水城であったと思われます。

明智光秀と坂本城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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今治城(新歴史紀行)

藤堂高虎の像の脇を抜けて、いよいよ天守閣へ向かいます。

高虎の「思い」詰まった古図面:8万石から一気に20万石へ

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今治城(新歴史紀行)

今治城内部に入ると、木製の模型がありました。

こういう城郭建築の木製模型は、実物が鉄筋コンクリートだけに、とても味わいがあります。

鉄筋コンクリート像の再建天守閣で多いタイプが、内部の作りは面白みが少ない点です。

内部空間は比較的「普通の建物」の感じで、現存天守閣のような味わいはありません。

現存天守の一つ、犬山城を訪問した話を上記リンクでご紹介しています。

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今治城(新歴史紀行)

その一方で、この今治城の内部の様々な展示は、圧巻です。

上のように、今治城ないで出土した瓦製土管が展示されていました。

江戸時代初期に築城された今治城は、攻城戦のことも考えられながらも、かなり近代的な城でした。

このような土管が今治城内に張り巡らされていたと考えられ、下水への配慮が十分でした。

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今治城(新歴史紀行)

様々な武器も展示されており、熊手も展示されていました。

城において、刀、槍、鉄砲の展示は、よく見かけますが、熊手の展示は珍しいです。

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今治城(新歴史紀行)

今治城の昔の図面が展示されていました。

この図面の下部の方に瀬戸内海が見え、「設計時に瀬戸内海を強く意識した」ことが伺えます。

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今治城(新歴史紀行)
藤堂高虎

この高虎は、様々な大名に
仕え、秀長様に尽くした!

秀吉の異父弟(同父弟説あり)であった羽柴(豊臣)秀長に仕えた藤堂高虎。

高虎は、ここで秀長と秀吉から注目されました。

1556年生まれの藤堂高虎は、ちょうど30代から40代となり、脂が乗ってきた頃でした。

藤堂高虎

宇和島城7万石の
城主だ!

その後、「豊臣政権を支える大名」の一人として、加増を受け続けた高虎。

藤堂高虎

大洲城1万石を加増され、
大洲城を大改修!

大洲城1万石の加増され、既存の大洲城を大改修して、築城術を上げていった高虎。

その後、関ヶ原の合戦では、家康側で重要な役割を果たした高虎。

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戦国大名 徳川家康(Wikipedia)
徳川家康

高虎殿には、
12万石を加増しよう・・・

藤堂高虎

はっ、有難き
幸せ!

西軍の諸大名を取り潰し、領土大幅削減を断行した家康は、東軍の大名に「大盤振る舞い」しました。

ところが、加藤清正や福島正則に対する「大盤振る舞い」は、

徳川家康

こいつらは、
どうせ早い段階で潰す・・・

徳川家康

一時的に、大きな領土を
与えておけば良い・・・

このように「早期に潰す」決意をしていたと思われます。

黒田長政に対しても大きな加増がありましたが、8万石から20万石の大名となった藤堂高虎。

この「2.5倍への加増」に家康の「藤堂への強い信頼感」が表れています。

藤堂高虎

いよいよ20万石の
大大名だ!

いわば「大大名の一角」に成長した高虎。

藤堂高虎

今治城を天下屈指の
城にして見せよう!

「関ヶ原」の1600年、45歳(数え年)であった藤堂高虎は、こう考えたでしょう。

この今治城の古図面には、その高虎の「今治城への想い」が表れています。

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