前回は「明智光秀 10〜未来都市を創った男 1〜」の話でした。

非常に優美なイメージの坂本城。

このイメージを実現化した明智光秀には、技術的能力に加え、デザイン的・芸術的な才能もあるでしょう。
秀吉の長浜城、あるいは後年築城する大坂城・聚楽第などと比較すると、優美さが際立ちます。
秀吉は備中高松城・三木城などの城攻めの際に、大規模に城を取り巻くように付け城を築きます。

秀吉の大掛かりな工事の仕方は、土木的発想とも言えます。
対して、光秀は優雅さも兼ね備えた建築的発想・センスを持っていたと思います。

当時は水運が非常に重要であり、琵琶湖は京都へと至る超重要な経路でした。
信長・秀吉・光秀・津田信澄(光秀の娘婿)の四つの城で、見事なネットワークが構築されています。
中でも、京都へ至る出入り口にある坂本城の戦略的重要性が分かります。
坂本城は現存しませんから、あくまで上の絵はイメージです。
しかし、このイメージを発想した光秀の芸術的センスは、かなり高い。
こういうセンスは、柴田勝家や丹羽長秀にはありません。


築城は、そんなに得意ではない。



武士たるもの、戦場での働きが一番ぞ!
同時に「技術的にどうやって湖畔という陸上ではなく、湖に突き出した形で城を築いたのか?」は大いなる謎です。
水上につくった建築としては厳島神社が有名です。


規模・大きさ・高さを考えると、坂本城築城には、かなり高い技術が必要です。
明智光秀の本領は軍事や政治ですが、この極めて高いデザインセンスと築城技術は当時随一でしょう。





光秀の、あの築城センスと技術は
どこで身に付けたのだ?



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