前回は「未来都市を実現した明智光秀〜前代未聞の安土城を建築した天下人織田信長・抜群の築城術とデザインセンス・加藤清正と藤堂高虎を凌ぐ技量〜」の話でした。
秀麗なデザインの安土城と坂本城:欧州にもない城郭建築
非常に優美なイメージの坂本城。
この坂本城のイメージは、全て文字通り「イメージ」です。
本能寺の変直後の山崎の戦いで、明智光秀が敗れた結果、炎上して「この世から消えた」坂本城。
キリストの宣教師たちが、
文明は、Japanよりも
我がEuropeの方が遥かに進んでいるが・・・
Japanの建築技術は、かなり高レベルで、
豪華壮麗な城をつくる技術と金銭がある・・・
特に豪華絢爛たる安土城と
秀麗な坂本城のような城は、Europeにすらない・・・
このように言わしめ、安土城と同等に「秀麗な城」と評価された坂本城。
古来から、京都に程近い坂本の地は、極めて重要な地でした。
坂本を支配することによって、当時絶大な影響力を持っていた延暦寺も間接的に支配した光秀。
当時は「宗教の中心」のみならず「学問の中心」であり、莫大な領土・荘園を持っていた延暦寺。(上記リンク)
一部では、金融業も行なっていた形跡もあり、延暦寺の力は相当大きなものでした。
坂本は5万石だが、
実収以上の経済力があるのだ!
この経済力をうまく活かして、
我が国初の城を築城しよう!
おそらく、光秀は奮って坂本城を築城したのでしょう。
未来都市を創った男・明智光秀
美しい湖と山々が並ぶ近江国。
実際に、琵琶湖を訪れてみると「海とは異なる水の雰囲気」を感じます。
水としては、やはり外洋に通じている海の方が綺麗で透明感があります。
対して、琵琶湖の水は少し濁っている面があります。
一方で、琵琶湖は海のように大荒れすることは、ほとんどなく、水運として非常に大事でした。
トラックや自動車がなかった当時は、現代よりも遥かに重要だった水運。
当時の日本の中心であった京・山城から「すぐ近く」にあり、巨大物流センターであった琵琶湖。
美しい景観だけではなく、「物流の要」でもあった琵琶湖の重要性は抜きん出ていました。
さらに、歴史ある地であり、「京を守る」地であった坂本。
「水運の要」である琵琶湖を最大限に活かすため、琵琶湖に突出した城を光秀は考えました。
水運をさらに活かして、
物流を推進するのだ!
そして、将兵だけではなく、
民衆から親しまれる秀麗な城を!
こうして思い切り最先端の城を築城した明智光秀。
当時の最先端技術・デザインを凌駕しており、「未来都市を創った男」と呼べるでしょう。
「土木的発想」の秀吉vs「建築的発想」の光秀
このイメージを実現化した明智光秀には技術的能力に加え、デザイン的・芸術的な才能もあるでしょう。
秀吉の長浜城、あるいは後年築城する大坂城・聚楽第などと比較すると、優美さが際立ちます。
秀吉は備中高松城・三木城などの城攻めの際に、大規模に城を取り巻くように付け城を築きます。
私は城作りは
得意なのだ!
秀吉の大掛かりな工事の仕方は、
派手に、大きく
城を作るのだ!
ある意味で、土木的発想とも言えます。
対して、光秀は優雅さも兼ね備えた建築的発想・センスを持っていたと思います。
当時は水運が非常に重要であり、琵琶湖は京都へと至る超重要な経路でした。
信長・秀吉・光秀・津田信澄(光秀の娘婿)の四つの城で、見事なネットワークが構築されています。
中でも、京都へ至る出入り口にある坂本城の戦略的重要性が分かります。(上記リンク)
坂本城は現存しませんから、あくまで上の絵はイメージです。
推測に過ぎませんが、このイメージを発想した光秀の芸術的センスは、かなり高いでしょう。
こういうセンスは、柴田勝家や丹羽長秀にはありません。
築城は、そんなに
得意ではないが・・・
武士たるもの、
戦場での働きが一番ぞ!
「技術的に湖畔という陸上ではなく、湖に突き出した形で城を築いたのか?」という視点は重要です。
「大いなる謎」と言っても過言ではないでしょう。
水上につくった建築としては厳島神社が有名です。
規模・大きさ・高さを考えると、坂本城築城には、かなり高い技術が必要です。
明智光秀の本領は軍事や政治ですが、この極めて高いデザインセンスと築城技術は当時随一でしょう。
光秀の、あの築城センスと技術は
どこで身に付けたのだ?
最先端の築城なら、
光秀にお任せを!
もし、未来都市を創る男・明智光秀がもう少し長く織田家で活躍したら、と空想します。
その時、坂本城のような「最先端の城郭」が、あと2つか3つ完成していたかも知れません。
次回は上記リンクです。