前回は「「日本一の水海城」今治城〜琵琶湖とつながる彦根城・武骨で優美な石垣・巨大な勘兵衛石〜」の話でした。
巨大な石で作られた石垣を持つ今治城:巨漢であった藤堂高虎

広い堀に映る城郭が、一際美しい今治城。

「美しい城」と言えば姫路城ですが、水を巧みに使っている今治城は、優美です。
「優美さ」においては、姫路城を上回る可能性がある今治城。

もともと1602年に築城され、1980年に再建された今治城には、巨大な黒鉄門があります。
現代の技術でも、これほど巨大な門を建築するのは大変なことです。
今治城の黒鉄門に匹敵する大きさの門は、すぐには思い浮かびません。
この黒鉄門の大きさは、歴史的背景を基にしているのか、は不明です。
いずれにしても、「今治城再建」への当時の今治市民たちの意気込みが感じられます。

黒鉄門同様に、今治城の石垣は、巨大な石が使われていることが目立ちます。

今治城と言えば、巨石である勘兵衛石が有名ですが、全体的に石垣の石は大きいです。
ここまで大きな石を使用しなくても、頑強で優美な石垣は作れそうです。

今治城を築城した、藤堂高虎は当時九尺を超える大きな体を持っていました。
いわば「巨漢」であった高虎。
藤堂高虎といえば、どちらかというと「知将」の印象が強いですが、猛将でもあった高虎。
藤堂高虎大きな石で
石垣を作るのだ!
大きな石には、身体が大きかった高虎の強い思いが滲み出ているように感じました。
今治城の目前に建つ藤堂高虎像:早々に豊臣に見切りつけた高虎


いよいよ、今治城の城内に入り、天守閣が見えてきました。
天守閣の前には、巨大な銅像があります。


この巨大な銅像こそ、今治城を築城した藤堂高虎です。


巨漢の猛将であり、知将でもあった藤堂高虎の強さが伝わってくる銅像です。



この藤堂高虎の
築城術を全て注ぎ込む!



この今治城を、日の本一の
水城にするのだ!



いや、今治城を
江戸城を除き、日の本一の城に!
若い頃から、「主人を替え続けた」ことで有名な藤堂高虎は、羽柴秀長に仕えて立身しました。
ところが、秀長が早く亡くなり、「秀吉の治世の綻び」が見え始めた頃、



豊臣の時代は
それほど長くないな・・・



次は家康の
時代になるだろう・・・
早々に「家康の時代」を見抜き、家康ベッタリになった藤堂高虎。
このあたりが藤堂高虎の悪評に繋がり、今ひとつ人気が高くないのが藤堂高虎です。
大きな武将や将軍の銅像は沢山ありますが、これほど城と一体化した銅像は珍しいです。
まさに「藤堂高虎の城」であることを、この銅像の大きさと位置は物語っています。
次回は、天守閣内部に入ってゆきます。

