前回は「明智光秀 11〜未来都市を創った男 2〜」の話でした。

光秀が晩年に、膨大なエネルギーと時間をかけて攻略した丹波の拠点として築いた亀山城。
光秀の年齢には諸説ありますが、本能寺の変勃発時1582年に、55歳と考えます。

「山の国」とも言える丹波国。
明智光秀が攻略した波多野氏の八上城はじめ、堅固な山城ばかりでした。
山城ばかりのこの地に、光秀は平城を築きます。
おそらく坂本城への愛着が深かったことと、水城の美しさを光秀なりに再現したかったのでしょう。

水城は美しい。



そして、水運を活かせるので、
機能的だ。
「山の国」に水城のような亀山城を築きます。


坂本城同様、亀山城のイメージは少し誇張もあるでしょう。
広い堀を縦横無尽につくり、水景とも言うべき典雅な「水の街」がつくられています。
堀は籠城戦の際に、防衛のために作られることが多いです。
亀山城の堀は「戦いを意識して縄張りした」と言うよりも、「水の街づくり」のための堀であると思います。


のちに、当時桁外れの巨城・大坂城を築城した秀吉。
亀山城と比較すると、秀吉の築いた大坂城などですら、少し無骨に見えてきます。


信長の気づいた山城・安土城に対して、平城・水城の亀山城。


類まれなる芸術センスと機能性を併せ持つ、信長・秀吉、そして光秀。
織田家の中心には、これだけの人物が揃っていたのでした。