大田実司令官の悲壮な決意が感じられる旧海軍司令部壕〜陸上と海上の「一億総特攻の魁」・海兵同期の太田実と草鹿龍之介〜|旧海軍司令部壕3・沖縄戦の巨大な爪痕

前回は「大田司令官が戦いぬいた旧海軍司令部壕〜大日本帝国内地の最初の砦「沖縄」の戦い〜」の話でした。

目次

陸上と海上の「一億総特攻の魁」:海兵同期の大田実と草鹿龍之介

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大田実 沖縄根拠地隊司令官(Wikipedia)

第二次世界大戦末期、1945年3月26日から開始した沖縄戦。

当時、圧倒的な物量を有していた米陸海軍に押され続けていた第日本帝国陸海軍。

海外の領土を次々と失い、「最初の内地の砦」となる沖縄戦。

1945年2月25日に、大田実沖縄根拠地隊司令官が着任しました。

大田実

我が帝国陸海軍が
一丸となって、戦い抜く!

帝国海軍の「沖縄島の最高司令官」として着任した大田実司令官。

大田実

陸軍同様、我らも塹壕を
掘って、沖縄全土を要塞化するのだ!

1944年に着任してから、来たる「沖縄戦」に備えて、沖縄各地で塹壕を掘って、要塞化を進めました。

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第一航空艦隊旗艦 空母赤城(Wikipedia)

第二次世界大戦初期に、「世界最強の機動部隊」を有していた帝国海軍。

最強艦隊だった第一航空艦隊に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

この最強艦隊=第一航空艦隊を率いていた南雲司令長官は、1944年7月6日にサイパンで戦死していました。

南雲忠一

・・・・・

太田司令官が着任した頃には、帝国海軍には空母がなくなっている状況でした。

大田実

沖縄島を帝国海軍の
最後の「不沈空母」としてみせる!

おそらく、大田実司令官は「今はない」空母の「最後の不沈空母」を目指していたでしょう。

海兵41期を卒業し、多数の海戦を戦い抜いた太田司令官。

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草鹿龍之介 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
草鹿龍之介

大田、
沖縄を頼んだぞ!

海兵同期で、対米戦開戦時に第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介は、連合艦隊参謀長でした。

草鹿龍之介

我が帝国海軍は、
持てる力をすべて沖縄に向ける!

おそらく、このように「海兵同期」の太田司令官を激励したと思われる草鹿参謀長。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

おそらく、太田司令官着任の頃に、大本営では「戦艦大和の沖縄突入」を決定していたと思われます。

草鹿龍之介

「一億総特攻の魁」として、
帝国海軍は戦う・・・

草鹿龍之介

海上では伊藤長官率いる
戦艦大和が・・・

草鹿龍之介

そして、陸上では、
太田司令官率いる部隊が戦う!

帝国海軍は、陸上と海上での「一億総玉砕の魁」となろうとしていました。

太田実司令官の悲壮な決意が感じられる旧海軍司令部壕

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

いよいよ太田司令官たち、海軍将兵が戦い抜いた「旧海軍司令部壕」へと入ってゆきます。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

長い階段をずっと降りて、地下深くへと続いています。

当時、武器弾薬・食料・資材などの物資が困窮を極めていた、大日本帝国陸海軍。

米軍であれば、ブルドーザーなど多数の近代工具を持っていましたが、

海軍将兵G

とにかく、
ツルハシで深く塹壕を掘るのだ!

ツルハシなどの工具で、これらの塹壕を掘って、沖縄の要塞化を進めました。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

階段を降り切ると、塹壕の内部を歩いてゆけます。

大人の背より「少し高い」程度の天井高さの塹壕では、「当時の空気」が感じられます。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

塹壕は四方に伸びており、太田司令官や幕僚たちが指揮する多数の部屋があります。

まずは、信号室に入ってゆきます。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

この信号室では、大本営からの指令を受け、そして沖縄の司令部の状況を大本営へ打電したのでしょう。

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左上から時計回りに、梅津美治郎 参謀総長、Douglas MacArthur極東米陸軍司令官、Chester Nimitz米太平洋艦隊司令長官、及川古志郎 軍令部総長(Wikipedia)
梅津美治郎

米軍との内地での
最初の戦いとなる沖縄戦・・・

梅津美治郎

帝国陸軍は、我が国を
必ず守り抜いてみせる!

序盤から最後まで「強気路線」を堅持し続けた帝国陸軍。

1945年8月14日に「ポツダム宣言」受諾の敗戦を決定した御前会議においても、

梅津美治郎

まだ、まだ我が陸軍は
内地での戦争で米軍を叩ける!

帝国陸軍は「徹底抗戦」を叫び続けた歴史があります。

及川古志郎

我が海軍は総力を
結集して、沖縄戦へ挑む!

顔つきからして、軍人というよりも大学教授・教育者が相応しい及川軍令部総長。

及川古志郎

我が海軍は、
「一億総玉砕の魁」として・・・

及川古志郎

戦艦大和以下の最後の艦隊を
沖縄に突入させる!

草鹿龍之介

航空隊が少ない中、
沖縄へ戦艦大和は到達できない・・・

「航空隊のエキスパート」を自認していた草鹿参謀長は、「戦艦大和突入に反対した」と伝わります。

ところが、「戦艦大和の沖縄特攻・突入」を大本営が決定し、伊藤長官の元へ向かった草鹿参謀長。

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伊藤整一 第二艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
草鹿龍之介

伊藤長官、
第二艦隊は沖縄へ突入してください・・・

第二艦隊旗艦の戦艦大和で、第二艦隊司令部に対面した草鹿参謀長は、こう切り出しました。

伊藤整一

・・・・・

誰が考えても、「第二艦隊が沖縄へ到達する」のは不可能な状況でした。

空母がなく、「航空隊の傘がない」戦艦や巡洋艦は、「航空隊の餌食となる」のが明白でした。

この「航空隊の力」を世界中に知らしめたのが、他ならぬ帝国海軍のマレー沖海戦でした。

マレー沖海戦に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

草鹿龍之介

要するに、「一億総特攻の魁」と
なってもらいたいのです・・・

「一億総特攻の魁」という説明を受けた伊藤長官は、

伊藤整一

そういうことなら
分かりました・・・

伊藤整一

第二艦隊は、
沖縄目指して突入しましょう・・・

「沖縄へ到達できるか」は悲観的状況ながら、戦艦大和以下の艦隊は沖縄へ向かいました。

大田実

ついに、戦艦大和も
海上特攻することになった・・・

「戦艦大和の海上特攻」を聞いた沖縄島の海軍最高司令官であった太田司令官は、

大田実

ならば、我らは「陸上特攻」して
米軍に大打撃を与えてみせる!

「海上特攻」に対して「陸上特攻」での米軍への攻撃を誓ったでしょう。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

この太田司令官の「悲壮な決意」が感じられるのが、旧海軍司令部壕です。

次回も、続けて旧海軍司令部壕を歩みます。

次回は上記リンクです。

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