前回は「沖縄戦の旧海軍司令部壕〜神風特別攻撃隊出撃から沖縄戦の死闘へ・沖縄戦の痛ましい写真・陸海軍の総力を上げた決戦と大和突入〜」の話でした。
大日本帝国内地の最初の砦「沖縄」の戦い

第二次世界大戦末期、1945年3月26日から開始した沖縄戦。
この時期は、ドイツ軍の降伏間近であり、日独の枢軸軍の敗北は確定していました。

序盤は連戦連勝で、猛烈な勢いで太平洋からアジア・オセアニアにかけて、大領土を築いた大日本帝国。
沖縄戦開始の約2年前の1943年4月18日には、山本長官が米戦闘機に撃墜され、戦死しました。

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山本長官の戦死は、「米軍に暗号を完全解読された」結果でした。


1943年にアッツ島で玉砕が起こり、1944年からは神風特別攻撃隊が出撃しました。
米陸海軍は、共同して猛烈な勢いでオセアニアからフィリピン方面へ乗り込んできて、



我がUnited Statesが
Japanにトドメを刺すのだ!
数々の島を「飛び石づたい」に攻め込んできた米陸海軍。



まずは、俺を
追い出したPhillipineを奪還!
序盤に、帝国陸軍に敗北してオーストラリア方面へ敗走したマッカーサー。
「自らのメンツ回復」のためにも、猛烈な勢いでフィリピンを陥落させ、



よしっ!
いよいよ、Japanの本土攻撃だ!
米国の圧倒的な物量に対して、押しまくられていた大日本帝国。



いよいよ、
内地での戦いが間近か・・・



我が海軍は総力を
結集して、沖縄戦へ挑む!
梅津参謀総長と及川軍令部総長は、「内地の最初の戦争」となる沖縄戦に備えていました。
海外の領土を失うこともまた、重大な損失でありましたが、



なんとしても、
内地は守るのだ!
「内地の領土」は、帝国陸海軍に限らず、どの国にとっても「別格」でした。
この「大日本帝国内地の最初の砦」である、沖縄で着々と対米戦を準備していた帝國陸海軍。
大田司令官が戦いぬいた旧海軍司令部壕


そして、予期された「沖縄戦」の準備のために、1944年8月に牛島満 第32軍司令官が沖縄に着任。



我が帝国陸軍の
威信にかけて・・・



なんとしても、
沖縄で米軍を食い止める!
当時予期された沖縄戦では、沖縄島では陸軍主体、沖縄周辺の海では海軍主体でした。
この頃は、帝国海軍は米海軍に多数の艦艇を撃沈されてしまい、原油も少ない状況でした。
1944年10月のレイテ沖海戦で、敗北を喫した帝国海軍は「空母ゼロ」となり、



帝国海軍は、
もはや空母もなく・・・



陸上航空隊は、
とにかく神風攻撃を続ける!
帝国海軍の「海上軍事力」は、かなり脆弱な状況となっていました。


戦艦武蔵は、レイテ沖海戦で撃沈されたものの、



我が帝国海軍には
戦艦大和が残っている!
「帝国海軍の精神」であった戦艦大和は残っていました。



最初の内地戦である
沖縄戦には・・・



戦艦大和以下、全艦隊を
突入させてみせる!
おそらく、レイテ沖海戦直後の1944年末には、帝国海軍は戦艦大和の突入を決めていたでしょう。





沖縄本島を守る
帝国海軍責任者は、私だ!
そして、沖縄本島で帝国海軍側の沖縄根拠地隊司令官=総責任者として着任した太田実司令官。



なんとしても、
米軍を沖縄で止めてみせる!
帝国陸軍は牛島司令官が、帝国海軍は太田司令官が「最先任=最上級司令官」となり、



沖縄島全体に塹壕を掘って、
島全体で戦う!



海軍も沖縄を要塞化して、
戦い抜いてみせる!
1944年から、「沖縄島の要塞化」を陸海軍ともに猛烈な勢いで進めて、米陸海軍を待ち受けました。


太田司令官が戦い抜いた「旧海軍司令部壕」には、沖縄へ突入した戦艦大和の模型があります。


沖縄戦の日米の軍事力を比較すると、もはや「圧倒的差」では済まない「巨大すぎる差」がありました。



とにかく、帝国陸海軍が
一丸となって、戦い抜く!


物資が少なく、弾薬や原油も少なくなっていた帝国陸海軍の将兵の中には、



この銃剣で
米軍を倒す!
銃剣で玉砕攻撃する事態になっていました。


「凄惨を超えた」戦いにおいて、太田司令官以下の将兵は、この地で戦い抜き、



この沖縄で、
必ず米軍に大打撃を与えます!
太田司令官が大本営と何度も無電した、モールス信号機が展示されています。





沖縄戦では、
皆、本当によく戦ってくれました・・・
そして、最後に大田司令官は、沖縄戦に関わったすべての日本人に感謝する無電を打ちました。
次回は、大田司令官たちが立てこもった「旧海軍司令部壕」に入ってゆきます。