彗星の如く幕末に登場した大村益次郎の実像〜光り輝いた「火吹き達磨」村田蔵六の軍事能力・高杉晋作との邂逅・木戸孝允の超強力バック〜|大村益次郎1・人物像・エピソード

前回は「明治維新の超正統派・江藤新平の実像〜少し地味ながら「最も勉学奨励」の肥前佐賀藩・常軌逸した葉隠精神・長崎から欧州見た佐賀〜」の話でした。

目次

彗星の如く幕末に登場した大村益次郎の実像:木戸孝允の超強力バック

新歴史紀行
大村益次郎(村田 蔵六)(国立国会図書館)

幕末、長州藩の指揮から始まり、最終的には討幕(倒幕)軍全体を指揮した大村益次郎。

欧米の革命、特にフランス革命等と比較すると「かなり穏便だった」と言われる明治維新。

明治維新が「革命かどうか」は議論がありますが、実際「革命級の大変革」がありました。

それまでの封建社会からガラッと変わって、少なくとも形式的には「民衆中心の社会」となりました。

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左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

この「大革命・大維新」の立役者たちは、主に維新の三傑と呼ばれる、西郷・大久保・木戸です。

維新の四傑(新歴史紀行)

・薩摩:西郷隆盛・大久保利通

・長州:木戸孝允

・公家:岩倉具視

筆者は、岩倉を加えた「維新の四傑」という整理が最も本質的に明治維新を表現すると考えます。

明治維新は、政争もありましたが、とにかく「軍事力によって徳川にトドメを刺した」のが現実です。

大村益次郎

討幕軍の軍事力によって
明治維新がなされ・・・

大村益次郎

その軍全体を指揮したのが
この大村であるから・・・

大村益次郎

私こそが、明治維新の
立役者なのだ!

かなり無愛想な人物で、口数も少なかった大村益次郎は、プライドはピカイチでした。

口外しなかったものの、内心は、こう思っていたに違いないでしょう。

元医師であり、軍事研究者であった大村が一気に軍司令官になって、歴史に登場しました。

いわば、「彗星の如く幕末に登場した」のが大村益次郎でした。

そして、当然のことながら「維新の四傑」ほどではなくても、大村は「十傑」には入っています。

維新の十傑(山脇之人「維新元勲十傑論」)

・薩摩:西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀

・長州:木戸孝允・大村益次郎・前原一誠・広沢真臣

・肥前:江藤新平

・肥後:横井小楠

・公家:岩倉具視

明治期に山脇之人「維新元勲十傑論」によってまとめられた「明治維新の十傑」。

様々な議論はあると思いますが、この十傑は的確に維新を表現しているとも言えます。

目立つのが、「長州が多く、土佐がゼロであること」であり、現代の明治維新像とはズレます。

以下では、大村益次郎の当初の名前、村田蔵六で彼の軌跡を考えます。

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木戸孝允(国立国会図書館)
木戸孝允

村田こそが我が長州を救うのだ!
村田に軍を任せよ!

「医師+軍事研究者」であった大村を見出し、超強力に推薦・バックになったのが長州の総帥・木戸でした。

光り輝いた「火吹き達磨」村田蔵六の軍事能力:高杉晋作との邂逅

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高杉晋作(国立国会図書館)

幕末、幕府や諸外国から攻められた長州藩は、「滅亡の危機」にありました。

この「危機の理由」は長州藩自身にあり、幕末に「暴発し続けていた」のが長州軍団でした。

この暴発の中心人物であったのが、久坂玄瑞と高杉晋作でした。

高杉晋作

はっは〜!
長州の力を世の中に思い知らせるのだ!

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幕末の長州の志士たち:左上から時計回りに久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)、前原一誠(Wikipedia)
久坂玄瑞

我らこそが
世の中を変えてみせる!

主に松下村塾生が中心となって、爆発し続けた長州藩。

幕末維新を「爆発させた」久坂玄瑞の話を上記リンクでご紹介しています。

疾風の男・高杉晋作に関する話を上記リンクでご紹介しています。

当時の医学の超名門・適塾で学び、塾頭にまでなった村田蔵六。

村田蔵六

私はオランダ語に対しては、
かなり自信があり、蘭学を極める自信もある!

明治期の日本においても、関孝和など優れた数学者などが登場し、学問は発達していました。

一方で、西洋の「体系化された学問」とは比較の対象になる状況ではなく、日本はかなり遅れていました。

村田蔵六

医学として蘭学を学んだが、
西洋兵学には大いに興味がある・・・

村田蔵六

中でも、軍艦の製造方法は
これからの時代には超重要だ!

西洋兵学・軍艦製造法を学んだ村田は、一時期滞在した宇和島藩で「ミニ軍艦」を製造しています。

幕藩体制の当時、長州藩・薩摩藩などは現代の「山口県・鹿児島県」という感じではありませんでした。

「藩が国家のようなもの」であった当時、長州藩にとっては「長州出身者は長州人」でした。

我が長州人(長州藩出身者)で
村田という者が西洋兵学に超詳しいようです!

村田の声明は天下に鳴り響き、「すぐ近くの宇和島」に自国・長州藩の大賢人がいることを聞いた木戸。

当時、桂小五郎という名前だった木戸は、

桂小五郎(木戸孝允)

なにっ!
すぐに我が長州にお迎えせよ!

すでに諸外国とも幕府とも超険悪状態だった長州藩。

その長州藩にとって、「軍事能力が高い人物」は喉から手が出るほど欲しい人物でした。

村田蔵六

どうも、
村田です・・・

桂小五郎(木戸孝允)

桂です。
あなたに長州で西洋兵学を教授してほしい!

村田蔵六

そうですか、
分かりました・・・

桂小五郎(木戸孝允)

ちょっとぶっきらぼうな奴だが、
何か光るものがあるな・・・

幕末に超強力な政治力を発揮し、「人を見る目」においては天下一品だった桂(木戸)。

しばらく、村田が長州藩の藩校・明倫館などで教授する様子を見て、

桂小五郎(木戸孝允)

村田には、教授する能力
以上に、指揮官の能力がある!

高杉晋作

指揮官は俺がいれば
十分だが・・・

高杉晋作

あの火吹き達磨みたいな
奴に軍の指揮が出来るのか?

桂小五郎(木戸孝允)

私は、村田には
大いにその能力があると考える!

幕末志士らの年齢(歴史道Vol.6 朝日新聞出版)

すでに「長州の顔」であり、高杉の六歳上の桂は「兄貴分」でした。

高杉晋作

まあ、桂さんが
そういうなら・・・

最初は、渋々、村田の長州軍への参画を認めた高杉。

村田蔵六

どうも、
村田です・・・

高杉晋作

高杉ですが、
あなたは西洋兵学に長じているようですな・・・

話しているうちに、「村田の超絶的軍事能力」を感じた高杉。

高杉晋作

これは、確かに「ただ西洋兵学を知っている」
ではなく、軍の指揮が出来るな・・・

こうして、天才的軍事司令官である高杉との邂逅した村田。

そして、村田の軍事能力もまた磨きがかかってゆきました。

村田蔵六

私が西洋兵学を独自に解釈して、
長州軍を強化してみせよう!

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