明治維新の超正統派・江藤新平の実像〜少し地味ながら「最も勉学奨励」の肥前佐賀藩・常軌逸した葉隠精神・長崎から欧州見た佐賀〜|江藤新平1・人物像・エピソード

前回は「幕末維新を飛翔させた男・坂本龍馬の実像〜「薩長同盟の立役者」の謎・海の国土佐から世界へ飛躍・太平洋に思い切り開けた土佐〜」の話でした。

New Historical Voyage
参議 ・司法卿 江藤新平(カメラが撮らえた勤王派と佐幕派 幕末の志士 歴史読本編集部)
目次

少し地味ながら「最も勉学奨励」の肥前佐賀藩:常軌逸した葉隠精神

肥前佐賀藩第10代藩主 鍋島閑叟・直正(Wikipedia)

1834年に肥前佐賀藩士の長男として誕生した江藤新平。

後世の視点から見れば、幕末維新の時期ですが、1834年頃は徳川幕府の威信が健在でした。

我が佐賀藩士は
一生懸命勉強するのだ!

「葉隠」で知られる佐賀藩士は、諸藩と比較しても「猛烈に勉学を奨励する藩」でした。

江藤新平が誕生した1834年は、まだ20歳(数え年、現代の19歳)の若き藩主だった鍋島閑叟。

我が佐賀藩を
立て直すのだ!

「幕末の超名君の一人」と言われる鍋島閑叟は、若き頃は直正と名乗り、聡明な青年でした。

新歴史紀行
肥前鍋島藩藩祖 龍造寺家重臣 鍋島直茂(Wikipedia)

そして、この鍋島家は戦国期に龍造寺家を盛り立てた鍋島直茂の直系です。

私が龍造寺家を
盛り立てるのだ!

もともとは、落魄していた龍造寺家は戦国中期から、龍造寺隆信によって一気に盛り上がりました。

戦国大名 龍造寺隆信(Wikipedia)

我が龍造寺は
肥前の小さな勢力であった・・・

そして、我らは
大友家に従属していた存在であったが・・・

なんの!
この隆信が龍造寺家を再興するのだ!

軍事能力に卓越していた龍造寺隆信の元に、主に武勇に優れた家臣団が集結しました。

さらに、戦国きっての智勇兼備の名将・鍋島直茂は、隆信の義弟でもあったため、

私が隆信様、龍造寺の
柱となろう!

「龍造寺隆信の軍事パワーと鍋島直茂の智謀力」のセットで、龍造寺家は猛烈な勢いを持ちました。

1582年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

そして、一時は三国志の如く「九州を三分する勢力の一つ」にまで急成長した龍造寺。

この頃の龍造寺のストーリーは、上記リンクで紹介しています。

ところが、調子に乗り過ぎた龍造寺隆信は、

まさか、
この隆信が討死するとは・・・

「沖田畷の戦い」で島津家久の「釣り野伏せ」を思い切り受けて、猛将・龍造寺隆信は討死しました。

こうなったら、隆信様の
義弟の鍋島様に龍造寺を取り仕切っていただこう・・・

当然のことながら、直茂が龍造寺の家宰となることが望まれましたが、

龍造寺の家も
大事だが・・・

これからは肥前は
我が鍋島家が治めよう・・・

主家である龍造寺家と鍋島家の間では、かなりの闘争が行われた結果、「鍋島が肥前国主」となりました。

このような経緯もあり、「どことなく地味で暗い」のが肥前佐賀藩でした。

さらに「葉隠精神」によって、少し常軌を逸した感じすらある肥前藩士たち。

明治維新の超正統派・江藤新平の実像:長崎から欧州見た佐賀

幕末志士らの年齢(歴史道Vol.6 朝日新聞出版)

幕末に薩長土肥と呼ばれ、江藤新平・大隈重信・副島種臣ら優れた人物を多数出した肥前佐賀藩。

薩長土肥は実態は「薩長・土肥」であり、薩長と土肥の間には隔絶たる差があるのが実情です。

そして、「幕末の名士」というと、上のように西郷・大久保・木戸に続き、龍馬たちとなります。

「竜馬がゆく」の影響もあり、坂本龍馬と中岡慎太郎の人気は抜群です。

ところが、江藤・大隈・副島たちとなると、人気があるとは必ずしも言えない状況です。

これらの中でも、ある意味で超正統派であり最も頭脳が明晰であったのが江藤でした。

おそらく、若き頃から自分の頭の良さには自信があったであろう江藤。

肥前鍋島藩が非常に特殊な藩であったのは、「日本の出入り口の一つ長崎」の隣だったことです。

そして、長崎奉行のもとで、長崎の警備を任されていた肥前佐賀藩。

我が佐賀藩には
外国の本や物がたくさん入ってくるのだ!

江戸期の日本の出入口

・長崎:徳川幕府・オランダや中国など

・対馬:対馬藩・朝鮮や中国など

・琉球:薩摩藩・中国や東南アジアなど

・蝦夷(北海道):松前藩→徳川幕府・ロシアなど

日本の四つの出入口・国交の窓口の一つであり、際立って影響力が強かったのが長崎でした。

特に、他の窓口がアジアやロシアであるのに対して、オランダなど欧州とのつながりが深かった長崎。

オランダやエゲレス(英国)では
このような科学技術があるのか・・・

特にエゲレス(英国)では
民主主義が浸透しているのか・・・

若き頃から猛勉強し、現代においてなら「超優等生間違いなし」の江藤新平。

幕末維新の後、明治新政府で江藤新平は初代司法卿となり、獅子奮迅の活躍をしました。

この「明治新政府での活躍のもと」は、佐賀藩士時代の猛勉強だったと言って良いでしょう。

枝吉神陽先生に
学ぶのだ!

当時、佐賀藩の勉学の中心であった枝吉神陽に学んだ江藤。

枝吉神陽は副島種臣の実兄であり、その縁もあり、若き頃から副島とも仲が良かった江藤は、

義祭同盟に入って、
世を変えてゆくのだ!

幕末の三大巨大グループ

・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など

・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など

・肥前・義祭同盟:江藤新平、副島種臣、大木喬任など

義祭同盟に加入して、佐賀藩の有力者と成長してゆきました。

義祭同盟には
面白い人物がたくさんいるな・・・

この義祭同盟の動きをジッと見ていたのが、名君・鍋島閑叟でした。

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