幕末維新を「爆発させた」男・久坂玄瑞の実像〜吉田松陰との出会い・萩藩医の家柄から若くして飛躍・若き頃からの高杉晋作との交友〜|久坂玄瑞1・人物像・エピソード

前回は「不思議な超越した政治力を有した男・木戸孝允〜維新後に一気に衰えた超越的政治力・「無謀すぎる夢のまた夢」の実現・松下村塾グループを牽引して討幕へ・「村塾出身ではない」桂〜」の話でした。

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長州藩士 久坂玄瑞(義助)(国立国会図書館)
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萩藩医の家柄から若くして飛躍:若き頃からの高杉晋作との交友

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幕末の長州の志士たち:左上から時計回りに久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)、前原一誠(Wikipedia)

1840年に萩藩医・久坂家の三男として生誕した久坂秀三郎(玄瑞)。

三男坊であることが「一種気楽な立場」であり、平穏な時代であれば、

藩医は兄ちゃんが継ぐから、
僕は何をしようかな・・・

やっぱり一生懸命勉強して、
医師など人のために尽くせるようにしよう!

若き頃から目的意識がはっきりしていた秀三郎少年。

平穏で、家の状況も普通であれば、秀三郎少年は一生懸命勉学に励み、相応の人生を送ったでしょう。

藩医の家柄だったこともあり、小さな頃からしっかり私塾に通っていた秀三郎少年。

よう!
秀三郎!

この私塾に若き日の高杉晋作も通っており、

やあ、晋作!
今日も一生懸命勉強だな!

一歳歳上の新作少年は藩の上士の家柄で、目上の存在ですが、

晋作さんは上士だけど、
僕だって藩医の家柄だ!

この頃は、「武士が最高」が共通認識であり士農工商の時代でした。

現代では、社会的ステータスが高い医師ですが、武士は「社会的ステータス最高」でした。

秀三郎は藩医の家柄だから、
やっぱり優秀だな!

晋作さんは、ちょっと変わっているけど、
直感的な人だな!

小さな頃から「カッチリした」正確だった秀三郎は、なんとな晋作と気が合いました。

若き頃から、時代の風雲児となる高杉と知り合って、意気投合していた秀三郎。

そして、この「高杉晋作との交友」が秀三郎の人生を大きく変えてゆきます。

とにかく、
一生懸命学ぶのだ!

ところが、秀三郎少年が小さい頃に、久坂家に絶大な不幸が襲いました。

父・母・兄が次々と病気で亡くなり、15歳で「久坂家当主」とならざるを得なかった秀三郎。

父も母も兄も
全員亡くなってしまった・・・

僕がしっかりして
久坂家を継いでゆく!

今日から名前を
玄瑞と改める!

こうして、15歳の若さにして「久坂玄瑞」という大層な名前を名乗った久坂。

この「玄瑞」という名前こそが、久坂少年の「大きな飛躍」を強く示しています。

そして、藩の医学所「好生館」で学び、藩医を継ぐべくもう勉強をしました。

一生懸命勉強して、
超一流の医師となろう!

と心に誓った玄瑞。

ところが、時代が玄瑞を「藩医」にとどめず、時代を牽引する人物へとなってゆくことになります。

幕末維新を「爆発させた」男・久坂玄瑞の実像:吉田松陰との出会い

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桂浜(新歴史紀行)

藩主の許可がなければ、藩の外に出ることが出来なかった江戸時代。

比較的「若者に優しい」藩であった長州藩では、

若者は藩の外に出て
遊学するが良い!

という方針だったのが幸いしました。

「三方を海に囲まれた」地形であり、昔から朝鮮半島などと接点が多かった長州藩。

よしっ!
それでは海を渡ろう!

久坂は九州を遊学して、様々な人物と接しました。

九州を見に行って、
遊学するのだ!

時は、後に「幕末」と言われる時代であり、遊学して外国の情報などに触れた玄瑞は、

こ、これはっ!
藩の医師をしている場合ではない!

このままでは、
我らは夷人に蹂躙されてしまう!

当時は、それぞれの藩が国家のような存在でした。

そのため、「日本人」という意識ではなく「長州人」という意識を持っていた久坂。

我が長州のために、
攘夷で活躍しよう!

宿命であったはずの「医師の道」をスッパリやめて、一気に「攘夷の道」に飛び込みました。

当時は、攘夷は「流行現象」の一つともいえ、その流行に「あっさり染まった」ように見える久坂。

ところが、久坂はそんなに単純な思考ではなく、

我が国の現状を考え、
海に囲まれた長州藩は、夷狄と戦わざるを得ない・・・

夷狄と和する方法もあるが、
隣の清国はエゲレス(英国)に叩き潰された・・・

夷狄の連中は、我が長州藩を
「合戦で潰す」か「屈服させるか」だろう・・・

そして、思慮深い性格ながら激昂しやすい久坂は、論理を一気に超飛躍してゆきました。

とにかく、攘夷で
夷狄を叩き潰してやるのだ!

極めて頭脳明晰であった久坂玄瑞は、ある意味で「超シンプルな思考」を持っていました。

あなたは長州藩の方だから、
吉田松陰に教わるのが良いでしょう・・・

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松下村塾・教育者 吉田松陰(国立国会図書館)

確かに・・・
高名な松下村塾に入ろう!

九州遊学をきっかけに「超攘夷」となった久坂は、松下村塾への入門を決めました。

そして、まずは吉田松陰に手紙を書きました。

弘安の役の時の如く、
外国の使者を斬るべし!

さすれば、必ず米国は
来襲するだろう・・・

米国など夷狄が来襲して来れば、
武士は覚醒して、強力に夷狄を潰すだろう!

ある意味「飛躍しすぎた論理」ながら、ある意味で「本質を突いた論理」を松陰にぶつけました。

当時、すでに「夷狄の発想」で有名だった松陰は「同調してくれるはず」でした。

ところが、松陰からの返信は、

あなたの議論は浮ついており、
思慮も浅い・・・

至誠より発する言葉
ではない・・・

いきなり「ダメ出し」をしてきた松陰。

メリケン(米国)の使節を斬るのは
今はもう時代遅れだ・・・

過去の事例を持って、今の出来事を解決するのは、
思慮が浅いと言うのだ!

わ、私は思慮が
浅いですか!

私ほど思慮深い人間はいない
と思っていたが・・・

プライドが一気に傷ついた玄瑞。

一方で、松陰は心の奥底で、

この若者の考え方は極端だが、
具体的で本質的でもある・・・

この若者を鍛えれば、
大きく飛躍するだろう・・・

と考え、玄瑞の慧眼を内心極めて高く評価していました。

よしっ!
吉田先生のもとで「至誠」を学ぼう!

勇躍して松下村塾に入門した久坂玄瑞。

そして、この運命こそが、日本の幕末維新の方向を決定づけました。

New Historical Voyage
禁門の変(Wikipedia)

後に「禁門(蛤御門)の変」の中心人物となった久坂玄瑞。

吉田松陰との出会いによって、一気に「幕末維新を爆発させた」男・久坂玄瑞が登場しました。

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