地味な存在の「討幕指揮官」大村益次郎〜写真がない西郷と大村・蘭学を大いに学んだ大村・長州が先鞭つけた討幕〜|大村益次郎2・人物像・エピソード

前回は「彗星の如く幕末に登場した大村益次郎の実像〜光り輝いた「火吹き達磨」村田蔵六の軍事能力・高杉晋作との邂逅・木戸孝允の超強力バック〜」の話でした。

新歴史紀行
大村益次郎(村田 蔵六)(国立国会図書館)
目次

地味な存在の「討幕指揮官」大村益次郎:写真がない西郷と大村

新歴史紀行
彰義隊が立て篭もる上のを砲撃(歴史道vpl.15 朝日新聞出版)
大村益次郎

私が、幕軍を討滅した
新政府軍の指揮官・大村です・・・

幕末維新の時期に、薩長勢力を中心とする討幕軍の指揮官であった大村益次郎。

維新の四傑(新歴史紀行)

・薩摩:西郷隆盛・大久保利通

・長州:木戸孝允

・公家:岩倉具視

幕末維新といえば「維新の三傑」ですが、筆者は岩倉を加えた「維新の四傑」が良いと考えます。

大村益次郎は、元々は村田蔵六と言う名前で、鋳銭司(すぜんじ)村の大村の村医の家柄でした。

大村の風貌からして、「大村益次郎」よりも「村田蔵六」の方がピタリとします。

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作家 司馬遼太郎(司馬遼太郎の戦国 朝日新聞出版)
司馬遼太郎

蔵六は・・・
蔵六は・・・

筆者が好きな司馬遼太郎は、大村を描いた「花神」で、大村を「蔵六」と呼びます。

確かに、大村の風貌や業績と歴史を考えると「村田蔵六」であり、さらに「蔵六」がピッタリです。

筆者としては、大村中心の人生を考える時は、「蔵六」としたいです。

幕末維新を横断的に考える視点では「大村」としたいので、以下は「大村」とします。

大村の肖像は「肖像画」であって、「肖像写真」ではありません。

幕末維新の英雄たちの中で、「写真がない」のは、大村益次郎と西郷隆盛のみです。

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陸軍大将 西郷隆盛(国立国会図書館)
西郷隆盛

おいどんは、
写真は好かん!

「写真を嫌っていた」と言われる西郷ですが、不自然なほど「全く写真がない」です。

存在しない西郷の写真に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

幕末維新に「呉越同舟」となった薩長の中でも、「犬猿の仲」と言われた西郷と大村。

よりによって、この「西郷と大村のみ写真がない」のも、不思議な縁です。

蘭学を大いに学んだ大村:長州が先鞭つけた討幕

New Historical Voyage
徳川幕府第十一代将軍 徳川家斉(Wikipedia)

1825年5月3日に生まれた大村益次郎の時代は、徳川幕府の治世でした。

大村益次郎

我が父も村の医師だった
ので・・・

大村益次郎

私も小さな頃から、
医師を目指して学びました・・・

文政年間であり、文時代・文時代で合わせて「化政時代」と呼ばれる時代です。

徳川家斉

私が第十一代将軍
徳川家斉である!

小栗が生まれた頃は徳川家斉の治世で、世の中は概ね治っていました。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
前原 一誠1834長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文1841長州
大村益次郎を取り巻く幕末維新の志士たちの生年

上の表は、大村益次郎周辺の幕末志士たちの生年をまとめました。

パッと見て、大村が一番の年長者であることが分かります。

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幕末の長州の志士たち:左上から時計回りに久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)、前原一誠(Wikipedia)

幕末維新に、勝手に暴発し、沸騰し続けた長州藩。

久坂玄瑞

徳川幕府を
潰すのだ!

高杉晋作

はっはー、
幕府を倒せ!

後に、討幕組を「薩長土肥」と呼びますが、「薩長・土肥」でありました。

さらに、討幕の原動力としては、圧倒的なパワーを有していた薩摩の方が、長州より強力でした。

この意味では「薩長・土肥」となりますが、討幕の歴史を考えると「討幕の導火線に火をつけた」のは長州でした。

討幕の経緯を考えると、「薩長・土肥」ではなく、むしろ「長薩・土肥」の方が相応しいように考えます。

幕末維新を「爆発させた」男・久坂玄瑞に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

薩摩・土佐・肥前の志士たちと比較すると、書生的な若さとパワーを感じさせる長州の志士たち。

この中で、大村と木戸は「大人びた」風格を持っていました。

おそらく、大村は若き頃から、淡々とした性格だったのでしょう。

大村益次郎

さてと、
医師になるべく、勉強するか・・・

おそらく、幕末維新の志士の中でも、最も学問が好きだった大村益次郎。

学問を強烈奨励した肥前も、江藤新平など「学問好き」の人物が多いですが、大村は、

大村益次郎

学問というのは、
実に面白い・・・

大村益次郎

医師になるのは、宿命であるが、
医学は時代の最先端でもあり・・・

大村益次郎

最近は、蘭学を学ぶことも
多いらしいから、楽しみだ・・・

地元の長州・防府から豊後などで、蘭方医学や蘭学を学んだ大村。

当時は、「外国の学問」と言えば、蘭学であり、それは、徳川幕府の政策が理由でした。

New Historical Voyage
長崎の出島(Wikipedia)
徳川幕府

我が国は
鎖国が国是だ・・・

徳川幕府

外国との公式窓口は
長崎・出島だ!

徳川幕府

そして、出島には、オランダ人、
中国人、朝鮮人などのみ滞在を認める!

欧州の中で、ただ一つ「徳川幕府公式の外交の窓口」長崎・出島にいることが出来たオランダ。

そのオランダからの書物が、当時の日本を席巻し、「最先端学問=蘭学」でした。

大村益次郎

蘭学は実に面白い・・・
数理的に何事も解明できる・・・

若い頃から優秀だった大村は、蘭学を次々吸収して行きました。

大村益次郎

医学では、大坂の適塾が
最先端らしい・・・

大村益次郎

では、適塾に
入学して、腕を磨こうか・・・

そして、大村は、当時の日本の医学の最高峰機関の一つ「適塾」に向かいました。

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