前回は「宇和島城天守閣を抜本再建した宇和島伊達家〜「天下の伊達」の意識・「慶長天守」と現存の「寛文天守」・全く異なる宇和島城天守〜」の話でした。
嫡男秀宗の「秀の字」を頑なに守り通した伊達政宗:秀吉への思い

戦国の時代に「生まれるのが遅すぎた」と言われることが多い、伊達政宗。
| 名前 | 生年 |
| 毛利元就 | 1497年 |
| 北条氏康 | 1515年 |
| 今川義元 | 1519年 |
| 武田信玄 | 1521年 |
| 長尾景虎(上杉謙信) | 1530年 |
| 織田信長 | 1534年 |
| 島津義弘 | 1535年 |
| 羽柴(豊臣)秀吉 | 1537年 |
| 徳川家康 | 1542年 |
| 伊達政宗 | 1567年 |
上の著名戦国大名の生年一覧表を見ると、確かに「生まれたのが遅すぎた」伊達政宗。
まだ18歳(数え年、以下同)だった1584年に、伊達家の家督を継いだ政宗。
その時は、本能寺の変の2年後であり、「戦国の山場」は終わっていました。
本能寺の変に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
そして、大坂の陣では、「戦国最後の超名将」として大奮戦した伊達政宗。
大坂の陣の時、伊達政宗は49歳であり、ちょうど織田信長が本能寺の変で自害した年齢でした。
伊達政宗この政宗が
49歳となったか・・・
| 名前 | 生年 |
| 徳川家康 | 1543年 |
| 伊達政宗 | 1567年 |
| 徳川秀忠 | 1579年 |
| 伊達秀宗 | 1591年 |
そして、伊達政宗には側室の子とは言え「嫡男」だった秀宗は、可愛い存在でした。
ところが、「側室の子」であり更に「秀吉の秀の字」を拝領した秀宗は、後継者にはなれませんでした。
そもそも、「秀吉の秀の字が問題」ならば、「名前を変えればよかっただけ」でした。
ところが、嫡男・伊達秀宗の名前を変えなかった伊達政宗。



秀吉様は、一世の
英傑であったことは間違いない・・・
伊達政宗が「豊臣(羽柴)秀吉を高く評価していた」のは間違いなかったでしょう。


もともと「真田信幸」という名前だった真田信之は、関ヶ原後に名前を変えました。



幸の字はまずいから、
信幸から信之に名前を変えよう・・・
徳川家康が大嫌いな真田昌幸の「幸の字」に遠慮した為でした。
真田家の上田城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



豊臣の時代から、徳川の時代と
なったが・・・



秀宗は秀宗のままで
良いのだ・・・



なんと言っても、秀吉様の
秀であり、意味も良い!
伊達政宗はこのように考え、「秀宗のまま」を頑強に貫きました。
「究極の水城」かつ「海城」だった宇和島城:伊達分家の誇り





家康様・・・我が伊達家は
今後も将軍家を盛り立てます・・・



そのためにも、我が嫡男
秀宗に、別の伊達家を創設頂ければ・・・



分かった・・・
宇和島に伊達藩10万石をやろう・・・
そして、大坂の陣での大奮戦と、「今後の伊達と徳川」をチラつかせて、10万石を別途獲得した政宗。
伊達家は、本家の62万石に加えて、10万石が別に加わり、伊達家全体では堂々の72万石となりました。
| 家 | 石高 | 本拠地 |
| 前田 | 103万石 | 加賀 |
| 島津 | 77万石 | 薩摩 |
| 伊達 | 62万石 | 仙台 |
| 徳川(御三家) | 61万石 | 尾張 |
| 徳川(御三家) | 55万石 | 紀伊 |
| 細川 | 54万石 | 熊本 |
上のように、伊達家は、徳川将軍家の天領・直轄領を除く諸大名では、堂々の3位でした。
別となった宇和島・伊達藩を加えても、3位は不動ですが、かなりの経済力を持っていた仙台伊達藩。
これらの大大名と比較すると、10万石が小さく感じられますが、10万石は中規模大名でした。


現存する宇和島城天守閣は、江戸期に伊達藩が自ら建築した「伊達の城」でした。


藤堂高虎が建築した宇和島城は、1649年の大地震で大きく破損し、伊達家が全面的に建築し直しました。


江戸時代において、「天下の伊達」の名声は、大きかったと思われます。
そして、その「天下の伊達」の分家である宇和島・伊達の本城・宇和島城は美しい水城でした。
現在は、埋め立てなどが進み、「陸の中の小高い山の上にある」宇和島城。
元禄16年(1703年)の絵図では、四方のうち、ほぼ東と北が海に面していました。


周囲が堀に囲まれた水城である今治城は、水面に城郭が映えて美しいです。
今治城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。


確かに、現在においても「海がすぐそこ」である宇和島城は、今治城を越える水城でした。


かつての今治城もまた、一部が海に面していましたが、海に突き出したような城郭だった宇和島城。
宇和島城は「究極の水城」だったと表現して良いと考えます。
宇和海に「突き出したような城郭」だった宇和島城。
当時の雰囲気は、現在は感じられませんが、「水城」というよりも「海城」と言っても良い宇和島城。
江戸期の宇和島城を夢想すると、「天下の伊達の分家」である誇りを感じられます。




