宇和島城天守閣を抜本再建した宇和島伊達家〜「天下の伊達」の意識・「慶長天守」と現存の「寛文天守」・全く異なる宇和島城天守〜|宇和島城7・伊予

前回は「緻密な石段が華麗な宇和島城〜江戸期も研究続いた石垣の積み方・頑強さが美に昇格した石垣・美しい宇和島湾〜」の話でした。

目次

「慶長天守」と現存の「寛文天守」:全く異なる宇和島城天守

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宇和島城(新歴史紀行)

地上にある城門から、ひたすら石段を上がって天守閣に到達する宇和島城。

標高74mと言われ、大した高さではないように思われますが、全てを登るのは結構大変です。

現存十二天守

・姫路城(兵庫県姫路市)

・彦根城(滋賀県彦根市)

・犬山城(愛知県犬山市)

・松江城(島根県松江市)

・松本城(長野県松本市)

・丸亀城(香川県丸亀市)

・丸岡城(福井県坂井市)

・宇和島城(愛媛県宇和島市)

・備中松山城(岡山県高梁市)

・高知城(高知県高知市)

・弘前城(青森県弘前市)

・松山城(愛媛県松山市)

「現存十二天守」の一つである宇和島城は、極めて貴重な城郭建築です。

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宇和島城(新歴史紀行)

ようやく天守閣に到達しましたが、天守閣は意外と小ぶりに感じます。

これは、「山全体が城郭」とも言える宇和島城において、「山と比較してしまう」からです。

この宇和島城天守閣は、江戸期の再建ですが、これほど高い位置にどうやって建築したのか?

現代でも、結構大変な大工事です。

材料を運ぶだけでも大変であり、重機のない当時、どうやって建築したのか?

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宇和島城(新歴史紀行)

早速、宇和島城の天守閣に入ってみました。

藤堂時代の「慶長天守」と現存の「寛文天守」は、全く異なる形状です。

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今治城(新歴史紀行)

築城の名手・藤堂高虎が建築した宇和島城は、1649年の大地震で大きく破損しました。

そして、この1649年の時点で宇和島藩の藩主は伊達家でした。

宇和島城天守閣を抜本再建した宇和島伊達家:「天下の伊達」の意識

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戦国大名 伊達政宗(Wikipedia)

「伊達」とは、もちろんあの伊達政宗です。

ただし、伊達嫡流は仙台藩であり、宇和島伊達藩は、「別の伊達家」です。

伊達政宗

我が嫡子・秀宗を
どうしようか・・・

伊達政宗の嫡男・宗は、名前の通り、吉の寵愛を受けて、「」の字を拝領しました。

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天下人・関白 豊臣秀吉(Wikipedia)
豊臣秀吉

我が秀吉の「秀」の字を
上げよう・・・

豊臣秀吉

そして、我が
猶子としよう・・・

豊臣秀吉

そして、我が豊臣家を
大事に盛り立てるのだ!

関白・太閤となった秀吉は、源平藤橘に並ぶ「豊臣」姓を生み出しました。

秀吉から「秀」の字を「拝領した」のは、他に宇喜多秀家などいます。

豊臣秀吉

大名には、皆
「羽柴」の姓を与える!

諸大名には「羽柴」姓を気前よく配ったものの、「秀」の字を与えたのは少数派でした。

豊臣秀吉

私の一字を与えるのは、
いわば「偏諱」だな・・・

少し思い上がっていた感じの秀吉は、「偏諱」くらいに考えていたでしょう。

ところが、秀吉死去後、「関ヶ原」が勃発しました。

関ヶ原古戦場に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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大坂の陣(Wikipedia)

さらに、1614年、1615年の大坂の陣で、「徳川の世」が確定しました。

伊達政宗

秀吉様の
大坂城・・・

伊達政宗

ワシが若い20代前半の頃に、
初めて来たっけ・・・

20代前半の若さで「奥州の覇王」となった伊達政宗は、秀吉に屈服しました。

伊達政宗

徳川殿に目をつけられているから、
奮戦せねば・・・

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大御所 徳川家康(Wikipedia)
徳川家康

おお、政宗殿・・・
大坂では奮戦しましたな・・・

伊達政宗

はい・・・我が伊達は
徳川様のために・・・

伊達政宗

今後も
尽くし続けますぞ!

名前生年
徳川家康1543年
伊達政宗1567年
徳川秀忠1579年
伊達秀宗1591年
伊達家と徳川家

ここで、嫡男であった伊達秀宗は庶子だったため、後に正室が産んだ伊達忠宗が後継者となりました。

伊達政宗

我が伊達家は
忠宗に継がせるが・・・

伊達政宗

秀宗は嫡男であり、
目をかけてきた・・・

伊達政宗

だが、秀宗は秀吉様の
流れであり、扱いが難しい・・・

ここで、戦国最後の英雄であった政宗の論理は飛躍しました。

伊達政宗

そうだ!
別の伊達家を創設しよう!

こう考えた、政宗は、「別の伊達家創設」を家康に願いに行きました。

伊達政宗

家康様・・・我が伊達家は
今後も将軍家を盛り立てます・・・

伊達政宗

そのためにも、我が嫡男
秀宗に、別の伊達家を創設頂ければ・・・

徳川家康

な、なに?
「別の伊達」とな?

徳川家康

ならば、仙台藩から
石高を分けて分家してはどうか?

伊達政宗

それでは、本家との
軋轢を今後生んでしまいます・・・

伊達政宗

我が伊達が東北と蝦夷に
睨みを効かせて・・・

伊達政宗

将軍家へのご奉公に
差し障りが出るかも知れませぬ・・・

徳川家康

・・・・・

伊達政宗

どうか、どうか、
秀宗には、別に10万石程度・・・

伊達政宗

東北から離れた
地に頂けないでしょうか・・・

「10万石」は、伊達藩62万石より「遥かに下」ですが、一定規模の石高でした。

ここで「折れるはずがない」家康が折れました。

徳川家康

分かった・・・
宇和島に伊達藩10万石をやろう・・・

伊達政宗

有難き
幸せ!

伊達政宗

東北と四国から
伊達は、ずっと徳川を守ります!

こうして、仙台伊達藩とは別に、宇和島伊達藩が生まれました。

そして、1649年に大地震が起きた際には、

伊達藩主

この際、天守閣は
全面的に変えるのだ!

伊達藩主

我が伊達は
「天下の伊達」なのだ!

伊達藩主

我が伊達は
藤堂とは全然違うのだ!

この気持ちで、伊達家は思い切って、改修のついでに天守閣を抜本再建したのでしょう。

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