前回は「現存十二天守の一つの宇和島城〜藤堂高虎による縄張り・小早川隆景から藤堂高虎へ・四国最大の石高の伊予〜」の話でした。
壮麗な「水城+平山城」の宇和島城:伊達宗城が見出した大村益次郎

上の写真は、宇和島城の入口である城門です。

かつて壮麗な水城であった宇和島城は、平山城でもあります。
自動車で宇和島城に向かうと、途中から小高い山の上に建っている宇和島城が見えてきます。

山城の代表格である岐阜城(稲葉山城)と比較すると、だいぶ低いですが、小高い位置の宇和島城。
宇和島の周囲は、比較的標高が低い山が多いので、かなり高い印象を受けます。

幕末に「四賢候」の一人・伊達宗城によって、有名になった宇和島藩。
伊達宗城私は蘭学者を
極めて重視している・・・



長州の村田殿に
我が藩に来て頂こう・・・





村田で
ございます・・・
伊達宗城は、当時、村田蔵六という名であった大村益次郎を見出した人物でした。
村田蔵六を見出した伊達宗城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
おそらく、伊達宗城が「蘭学者を超重視」する人物でなかったら、大村は世に登場しなかったでしょう。
すると、幕末の歴史が大きく変化したでしょう。
戦国から幕末にかけて、知名度がそれほど高くない宇和島城・宇和島藩。
伊達宗城によって、一気に歴史の舞台に登場しました。
多数の石段を上がり天守閣へ:「華麗な水城」の藤堂高虎「最初の城」


現存の宇和島城の城門を入ると、山道を登ってゆきます。
上の写真は、城門を入ってすぐのあたりで、歩道が舗装されています。
石垣は、おそらく当時のままの古い石垣と思われます。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・高知城(高知県高知市)
・弘前城(青森県弘前市)
・松山城(愛媛県松山市)
現存十二天守の一つとして名高い宇和島城。


上の写真の右手に見えるのが城門付近であり、昔のままの石段を上がってゆきます。
この石段は、上がってゆく石段の一部ですが、かなり高いことが分かります。





この藤堂高虎が
宇和島城を築いたのだ!
1556年生まれ・近江出身の藤堂高虎は、豊臣(羽柴)秀長に仕えて、頭角を表しました。
ところが、秀長が若くして病死してしまいました。





藤堂高虎は
使える武将だ・・・



秀長が死んでしまったので、
我が豊臣直属の大名にしよう・・・



高虎に
伊予宇和郡7万石を任せる!



はは〜っ!
有り難き幸せ!
当時、板島丸串城と呼ばれた、宇和島城付近の7万石を拝領した藤堂高虎。
おそらく、藤堂高虎は築城術に、若い頃からかなりの自信を持っていたのでしょう。



私が縄張りをする
最初の城とする!
そして、31歳(数え年)となる年齢の1596年、高虎は板島丸串城築城に乗り出しました。
現存する宇和島城の天守閣等は、藤堂の後の伊達家によるものです。
江戸時代に地震で崩壊し、再建となった宇和島城ですが、藤堂の築城の骨格は維持しています。
「初めての築城」となった、高虎は、大いに奮ったでしょう。
元から存在した板島丸串城は、かなり小規模の城であったと思われます。
新たに「7万石の大名」となった高虎は、この板島丸串城の地形を気に入ったと思われます。


瀬戸内海に面し、九州と相対する位置にあった現在の宇和島城。



よしっ!
ここに水城を築く!
後に「華麗な水城・今治城」を築く藤堂高虎。
今治城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
「水城」に「華麗で強固な城郭」を見出した、稀有な存在であった藤堂高虎。
その藤堂が、30歳過ぎの若き頃に築いた「最初の城」が宇和島城です。
次回は上記リンクです。




