前回は「高知の街を睥睨する高知城天守閣〜土佐藩率いた板垣退助像・「合戦」同様だった捕鯨と土佐の歴史・土佐を育んだ山々と海〜」の話でした。
現存十二天守の一つの宇和島城:藤堂高虎による縄張り

愛媛県(伊予)の宇和島城を訪問しました。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・高知城(高知県高知市)
・弘前城(青森県弘前市)
・松山城(愛媛県松山市)
宇和島城は、現存十二天守の一つであり、極めて貴重な城郭建築です。

藤堂高虎この藤堂高虎が
宇和島城を築いたのだ!
宇和島城は、元々は藤堂高虎が築城しました。
戦国中期まで、伊予国は、名家・河野家が支配していた国でした。


上の地図は、高知(土佐)の長宗我部元親像の前にある地図です。
長宗我部元親像に関する話を、上記リンクでご紹介しています。





この長宗我部元親が
伊予を制圧したのだ!



そして、長宗我部家が
四国全土を制覇したのだ!
伊予を制圧した長宗我部元親は、当時・板島丸串城と呼ばれていた宇和島城周辺も支配下に納めました。
小早川隆景から藤堂高虎へ:四国最大の石高の伊予





我が豊臣家が
天下を治めるのだ!
長宗我部元親が四国全土を支配下に納めた1585年の直後、豊臣秀吉が四国制覇に乗り込んできました。
ちょうど畿内を制覇し、羽柴から豊臣に名前を変えた頃の豊臣家は、強烈な勢いでした。



豊臣軍の
軍勢が多すぎる・・・
毛利軍も豊臣軍に加わり、長宗我部元親は秀吉の軍門に降りました。



伊予を
没収されてしまった・・・
| 国名 | 石高 |
| 伊予 | 36万6200石 |
| 阿波 | 18万3500石 |
| 讃岐 | 12万6200石 |
| 土佐 | 9万8200石 |
| 合計 | 77万4100石 |
後に「土佐24万石」と呼ばれますが、太閤検地において、土佐は最低石高でした。
そして、当時は、阿波・讃岐の二カ国が先進国であり、伊予は石高が高い国でした。
約36万石の国は、西国ではかなり生産力が高い方であり、四国最大の生産地であった伊予。



伊予は小早川隆景に
任せる!





はは〜っ!
有り難き幸せ!
本来、「毛利家の一重臣」に過ぎない存在であった小早川隆景。
毛利元就の三男であり、「毛利家の柱石」のような存在でした。



隆景は豊臣五大老の
一人になってもらう!
本能寺の変直後、「毛利家の羽柴軍追撃を止めた」ことで秀吉に恩を売った形になった隆景。
おそらく「ウマがあった」こともあり、秀吉に異様なまでに気に入られたのが、隆景でした。
その後、九州征伐(島津侵攻)にも軍功を挙げた小早川隆景は、



朝鮮を攻めるから、
その窓口の筑前を隆景に任せる!
毛利家の水軍を握っていた隆景は、「朝鮮侵攻の最前線の旗手」の期待を受けました。
小早川が筑前に行った後の、伊予は小大名が乱立する状況となりました。



我が弟・秀長を
補佐し続けた高虎よ!



我が弟・秀長を
補佐し続けた高虎よ!



高虎に
伊予宇和郡7万石を任せる!



はは〜っ!
有り難き幸せ!
1595年に、現在の宇和島城付近に7万石の領土を、秀吉から拝領した藤堂高虎。
1556年生まれの藤堂高虎が、30歳(数え年)となる年でした。
そして、翌年1596年から、藤堂高虎は、現在の宇和島城の築城に取り掛かりました。


