現存十二天守の一つの宇和島城〜藤堂高虎による縄張り・小早川隆景から藤堂高虎へ・四国最大の石高の伊予〜|宇和島城1・伊予

前回は「高知の街を睥睨する高知城天守閣〜土佐藩率いた板垣退助像・「合戦」同様だった捕鯨と土佐の歴史・土佐を育んだ山々と海〜」の話でした。

目次

現存十二天守の一つの宇和島城:藤堂高虎による縄張り

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宇和島城(新歴史紀行)

愛媛県(伊予)の宇和島城を訪問しました。

現存十二天守

・姫路城(兵庫県姫路市)

・彦根城(滋賀県彦根市)

・犬山城(愛知県犬山市)

・松江城(島根県松江市)

・松本城(長野県松本市)

・丸亀城(香川県丸亀市)

・丸岡城(福井県坂井市)

・宇和島城(愛媛県宇和島市)

・備中松山城(岡山県高梁市)

・高知城(高知県高知市)

・弘前城(青森県弘前市)

・松山城(愛媛県松山市)

宇和島城は、現存十二天守の一つであり、極めて貴重な城郭建築です。

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今治城(新歴史紀行)
藤堂高虎

この藤堂高虎が
宇和島城を築いたのだ!

宇和島城は、元々は藤堂高虎が築城しました。

戦国中期まで、伊予国は、名家・河野家が支配していた国でした。

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長宗我部元親・銅像(新歴史紀行)

上の地図は、高知(土佐)の長宗我部元親像の前にある地図です。

長宗我部元親像に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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長宗我部元親・銅像(新歴史紀行)
長宗我部元親

この長宗我部元親が
伊予を制圧したのだ!

長宗我部元親

そして、長宗我部家が
四国全土を制覇したのだ!

伊予を制圧した長宗我部元親は、当時・板島丸串城と呼ばれていた宇和島城周辺も支配下に納めました。

小早川隆景から藤堂高虎へ:四国最大の石高の伊予

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天下人・関白 豊臣秀吉(Wikipedia)
豊臣秀吉

我が豊臣家が
天下を治めるのだ!

長宗我部元親が四国全土を支配下に納めた1585年の直後、豊臣秀吉が四国制覇に乗り込んできました。

ちょうど畿内を制覇し、羽柴から豊臣に名前を変えた頃の豊臣家は、強烈な勢いでした。

長宗我部元親

豊臣軍の
軍勢が多すぎる・・・

毛利軍も豊臣軍に加わり、長宗我部元親は秀吉の軍門に降りました。

長宗我部元親

伊予を
没収されてしまった・・・

国名石高
伊予36万6200石
阿波18万3500石
讃岐12万6200石
土佐9万8200石
合計77万4100石
太閤検地における四国の石高

後に「土佐24万石」と呼ばれますが、太閤検地において、土佐は最低石高でした。

そして、当時は、阿波・讃岐の二カ国が先進国であり、伊予は石高が高い国でした。

約36万石の国は、西国ではかなり生産力が高い方であり、四国最大の生産地であった伊予。

豊臣秀吉

伊予は小早川隆景に
任せる!

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毛利家重臣 小早川 隆景(Wikipedia)
小早川隆景

はは〜っ!
有り難き幸せ!

本来、「毛利家の一重臣」に過ぎない存在であった小早川隆景。

毛利元就の三男であり、「毛利家の柱石」のような存在でした。

豊臣秀吉

隆景は豊臣五大老の
一人になってもらう!

本能寺の変直後、「毛利家の羽柴軍追撃を止めた」ことで秀吉に恩を売った形になった隆景。

おそらく「ウマがあった」こともあり、秀吉に異様なまでに気に入られたのが、隆景でした。

その後、九州征伐(島津侵攻)にも軍功を挙げた小早川隆景は、

豊臣秀吉

朝鮮を攻めるから、
その窓口の筑前を隆景に任せる!

毛利家の水軍を握っていた隆景は、「朝鮮侵攻の最前線の旗手」の期待を受けました。

小早川が筑前に行った後の、伊予は小大名が乱立する状況となりました。

豊臣秀吉

我が弟・秀長を
補佐し続けた高虎よ!

豊臣秀吉

我が弟・秀長を
補佐し続けた高虎よ!

豊臣秀吉

高虎に
伊予宇和郡7万石を任せる!

藤堂高虎

はは〜っ!
有り難き幸せ!

1595年に、現在の宇和島城付近に7万石の領土を、秀吉から拝領した藤堂高虎。

1556年生まれの藤堂高虎が、30歳(数え年)となる年でした。

そして、翌年1596年から、藤堂高虎は、現在の宇和島城の築城に取り掛かりました。

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