ただ一つの華麗な「水城+平山城」の宇和島城〜明智光秀が生み出した「水城」という城郭建築形式・華麗な坂本城・巨大な存在感放った琵琶湖と水城〜|宇和島城3・伊予

前回は「壮麗な「水城+平山城」の宇和島城〜多数の石段を上がり天守閣へ・「華麗な水城」の藤堂高虎「最初の城」・伊達宗城が見出した大村益次郎〜」の話でした。

目次

明智光秀が生み出した「水城」という城郭建築形式:華麗な坂本城

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宇和島城(新歴史紀行)

小高い丘というよりも小高い山に築かれた宇和島城。

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宇和島城(新歴史紀行)

宇和島城は、「平山城+水城」という極めて異例の特徴があります。

城郭の中でも、「水城」はかなり希少であり、極めて実例が少ないです。

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安土城図(歴史人2016年12月号KKベストセラーズ)

琵琶湖河畔に建築された安土城は、「水城の一例」と言えなくもないです。

安土城趾を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。

信長が、新たな巨城建築の地として安土を選んだのは、諸説あります。

最も有力な説は、「京に近く、一定の距離があり、水運で京に早期に到達可能である」点です。

この点から考えると、信長が安土城に求めたのは「水城ではなかった」とも言えます。

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坂本城のイメージ(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

そして、戦国時代における、水城の代表例となったのが、明智光秀の坂本城です。

「本能寺」直後の明智討滅戦によって、坂本城は灰燼となってしまい、上の図はイメージです。

坂本城付近の発掘調査は、ある程度進められ、上のように湖に突き出た水城であった可能性が高いです。

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織田四天王:左上から時計回りに柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)
明智光秀

この明智光秀が、
戦国最初の水城を生んだのだ!

卓越した築城術を持っていた光秀は、水城という「新たな城郭建築」を生み出しました。

坂本城が上のイメージ図のようであったら、極めて華麗な城郭建築だったでしょう。

巨大な存在感放った琵琶湖と水城

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今治城(新歴史紀行)

そして、後に坂本城を生み出した藤堂高虎が、30過ぎの時に建築したのが宇和島城でした。

藤堂「最初の築城」となった宇和島城は、当時は板島丸串城と呼ばれました。

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今治城(新歴史紀行)

1556年に近江に生まれ、最初は、当然ながら、近江の戦国大名・浅井長政に仕えた藤堂高虎。

当時、京中心の国家像であり、京・山城の隣国だった近江は、「首都圏」でした。

また、壬申の乱以降、ずっと「戦乱の中心地」であり続けたのが近江でした。

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近江・滋賀の山々と琵琶湖(新歴史紀行)

当時の日本における琵琶湖の印象は、現代の日本における印象よりも、遥かに大きい存在でした。

そして、浅井家滅亡後は、新たな近江領主となった織田家に仕え、羽柴秀吉・羽柴秀長に仕えた高虎。

秀吉の長浜城からは、光秀の華麗な坂本城が見えたでしょう。

藤堂高虎

水城というのは、
とても華麗だ・・・

藤堂高虎

私も将来
水城を築城したい・・・

若き高虎は、このように夢想したでしょう。

水城は、坂本城や高虎が後年築城する今治城のように「平城」であるのが大事です。

それにも関わらず、「平山城+水城」を選んだ高虎。

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天下人・関白 豊臣秀吉(Wikipedia)
豊臣秀吉

高虎に
伊予宇和郡7万石を任せる!

伊予で新たに7万石の領土を、秀吉から拝領した高虎。

「7万石」という領土は、石高として大きくはありませんが、「一定の規模」です。

一気に、ある程度の経済力を有した高虎は、大いに奮ったでしょう。

ただ一つの華麗な「水城+平山城」の宇和島城

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宇和島城(新歴史紀行)

おそらくは、もともと「ある程度の城郭が出来ていた」板島丸串城を見て、

藤堂高虎

最初から築城したいが、
金銭も時間もかかる・・・

藤堂高虎

この板島丸串城は
海に近く、水城のイメージだ・・・

「瀬戸内海の近く」であった板島丸串城は、平城ではなく、平山城でした。

室町末期以降、豊後の巨大大名・大友氏の侵攻を受けていた、伊予・宇和郡周辺の地。

ここに、初期の板島丸串城を建築したのは、橘氏という説があります。

おそらく、橘氏は「防衛に有利な山の上」に板島丸串城を築いたのでしょう。

そして、「海の近く」は「水城」ではなく、「水運重視」だったと思われます。

それを、高虎は、周辺の開発も進めて「水城」とすることにしたと思われます。

藤堂高虎

よしっ!
この板島丸串城に手を入れて・・・

藤堂高虎

本格的な
平山城+水城としよう!

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宇和島城(新歴史紀行)

標高74mと言われる宇和島城は、石段をかなり上がって、天守閣に向かいます。

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宇和島城(新歴史紀行)

一つの石段を上がって後ろを見たのが、上の写真です。

この石段だけでも結構な高さを上がっているのが分かります。

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宇和島城(新歴史紀行)

ところどころ、当時の大きな石垣が残る石段をどんどん上がってゆきます。

「平山城」ですが、「山城」に近いイメージなのが宇和島城です。

これらの石垣もまた、原型を作ったのは藤堂高虎と思われます。

平な地ではなく、傾斜面に石垣を作るのは、かなり大変なことと思われます。

おそらく、高虎は宇和島城築城・増築で、様々な築城術を習得したと思われます。

小高い山の中を石段を上がって、宇和島城天守閣に向かいます。

次回は上記リンクです。

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