前回は「御前会議というもの〜1938年まで開催されなかった御前会議・「大元帥」であった昭和天皇vs「米軍最高司令官」の米大統領〜」の話でした。
世界最長の王室・皇室である「日本の皇室」:日本国の根幹である皇室

現代は、日本国の「象徴」となった天皇。
日本国憲法上、政治権力は一切有しませんが、今でもなお圧倒的存在です。
「日本の天皇を語る」ことは、「諸外国の大統領や首相を語る」こととは次元が異なります。
「天皇を語る」ことはタブー視されている日本。
そして、第二次世界大戦に対して後ろ向きになって「正視しようとしない」のが日本人です。
確かに日本国民としては、「天皇を語る」ことは、極めて困難であり、原則として「否定はNG」です。
筆者は、特に天皇(陛下)を崇拝はしていませんが、天皇(陛下)に対して大きな敬意を持っています。
諸説ありますが、世界の中で「圧倒的に長い歴史を持つ王室・皇室」であるのが日本です。
この「皇室の存在」こそが、「日本という国家の本質」であり、天皇と皇室は日本の根幹です。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
そして、現在2025年から、たった80年前の1945年まで、天皇は大元帥でもありました。
昭和天皇朕が、大日本帝国の
陸海軍を統帥する・・・
「正式な軍が存在」しない日本には、かつて確かに「巨大な陸海軍」が存在したのでした。
第二次世界大戦まで、旧日本軍は「空軍未分化」状態であり、陸海軍のみでした。


対米戦直前の時期、大日本帝国陸海軍を率いていたのが、上の四名の人物たちでした。
「形式的」となった御前会議:大日本帝国最高意思決定機関の行方


「昭和天皇独白録」には、敗戦直後の1946年、昭和天皇が戦前・戦時中を赤裸々に語っています。



所謂午前会議というものは、
おかしなものである。



枢密院議長を除く外の出席者は
全部すでに閣議又は連絡会議等において・・・



意見一致の上、出席しているので、
議案に対し反対意見を開陳し得る立場のものは・・・



枢密院議長只一人
であって・・・



多勢に無勢、
如何ともなし難い・・・



全く形式的なもので、
天皇には会議の空気を支配する決定権は・・・



ない・・・
戦時中まで、日本の最高意思決定機関であった御前会議。
御前会議に参加出来る人物は、極めて限られていました。
当然、取材などは論外であり、「ベールに包まれた存在」である御前会議。
この御前会議に対して、昭和天皇は、明確に「全く形式的なもの」と言っています。
この事実は、極めて重要な事実と考えます。





乃木を代えては
ならんぞ!



絶対に、乃木は
代えてはならん!





はっ・・・
乃木は代えません・・・
明治天皇の「叱責」に近い発言に対し、帝国政府最高有力者の伊藤博文は、こう応えました。
日露戦争中、多大な犠牲が続出した乃木希典率いる第三軍。
確かに、乃木希典の相手であるロシア軍の旅順要塞が「強力すぎた」のが原因でした。
そのため、「誰が司令官であっても、大きくは変わらなかった」旅順攻撃。
その一方で、乃木希典率いた首脳部が「無能」かどうかは諸説ありますが「無策に近い」のは現実でした。
誰が司令官でも、苦戦した旅順攻撃でしたが、乃木軍は「死傷者を出しすぎた」のでした。
誰が考えても「代えるべき乃木」であり、「代えなければならない乃木」でした。
それに対して、明治天皇は御前会議で、明確に「No」を告げて強行採決したのでした。
日露戦争は1904年から1905年であり、旅順攻略戦は1905年1月1日に完了しました。
すると、この明治天皇が「乃木変更不可」を御前会議で決したのは1904年でした。
それから、高々40年も経過していない頃に、すでに「形式化」していた御前会議。


昭和の御前会議の写真は複数残されていますが、極めて少ないです。
日本の言葉や家屋において「段違い」という言葉があります。
高知城の御殿における「段違い」の話を上記リンクでご紹介しています。
上の御前会議の写真を見ると、天皇が「やや高い位置」にいるようにも見えます。
あるいは、何らかの敷居のようなものが見えます。
この「高い位置、または敷居の向こうから、何かを発言する」空気には見えないのが、御前会議でした。



・・・・・
明治天皇の頃とは違い、昭和天皇の頃の御前会議では、天皇は「ほぼ無口」だったようです。



多勢に無勢、
如何ともなし難い・・・
このように語っている昭和天皇は、当時は憲法上「圧倒的最高権力」を有する存在でした。
そのため、「天皇一人」で、「全ての日本国民を超える」存在と言っても良い存在でした。
ところが、昭和天皇が「多勢に無勢」と発言した御前会議。
この御前会議の実態こそが、昭和、特に戦前までの大日本帝国の本質でした。
次回は上記リンクです。



