昭和天皇が語る敗戦の原因〜兵法の根本原理「未体得」の陸海軍将校・敗戦後一年以内に昭和天皇が「独白」した様々な真実〜|昭和天皇独白録4・昭和の真実

前回は「「形式的」となった御前会議〜大日本帝国最高意思決定機関の行方・世界最長の王室皇室である「日本の皇室」・日本国の根幹である皇室〜」の話でした。

目次

敗戦後一年以内に昭和天皇が「独白」した様々な真実

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昭和天皇独白録(文藝春秋)

昭和天皇が崩御した翌々年の1991年3月10日に出版された「昭和天皇独白録」。

この本には、昭和天皇の「本音」が多数綴られています。

回数独白日時
第一回昭和21年(1946年、以下同)3月18日10:15-12:45
第二回3月20日15:00-17:10
第三回3月22日14:10-15:30
第四回4月8日16:30-18:00
第五回4月8日20:00-21:00
昭和天皇が独白した日時

上の表が、昭和天皇が独白した日時です。

いずれも、大東亜戦争の遠因、近因、経過及び終戦の事情等を側近に昭和天皇自ら語りました。

1901年4月29日に生まれた昭和天皇は、上の独白の頃は「まもなく45歳を迎える」時期でした。

戦時中に、様々な帝国政府や軍部あるいは宮内省の要人が昭和天皇に関して語っています。

それらの内容から総合すると、かなり頭脳明晰な人物であった昭和天皇。

敗戦の翌年、ポツダム宣言受領後の米国に占領されていた日本。

そして、敗戦から一年経過していない時期に「側近に独白した」昭和天皇。

頭脳明晰であり、まだ若かった昭和天皇は、本書において「様々な真実」を語っています。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法の大きな違い

戦時中まで、大日本帝国憲法下にあった大日本帝国は「すべてにおいて天皇がトップ」でした。

昭和天皇

所謂午前会議というものは、
おかしなものである。

昭和天皇

全く形式的なもので、
天皇には会議の空気を支配する決定権は・・・

昭和天皇

ない・・・

御前会議に関して、昭和天皇は、ここまで徹底的に「形式的なもの」と説明しました。

昭和天皇が語る敗戦の原因:兵法の根本原理「未体得」の陸海軍将校

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昭和天皇(Wikipedia)

昭和天皇は、「敗戦の原因」に関して、次のように説明しています。

昭和天皇

敗戦の原因は
4つあると思う。

昭和天皇

第一、兵法の研究が
不十分であった事・・・

昭和天皇

即ち、孫子の「敵を知り、己を知らねば、
百戦危からず」という根本原理を・・・

昭和天皇

体得していなかった
こと。

頭脳明晰な昭和天皇は、「敗戦の原因」を4つにまとめました。

そして、その筆頭にあるのが「兵法の研究の不十分さ」でした。

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左上から反時計回りに、東條英機 陸相、杉山元 参謀総長、永野修身 軍令部総長、及川古志郎 海軍大臣(国立国会図書館)

戦時中に、陸海軍を率いた陸海軍エリートたちは、若い頃から極めて優秀な人物たちでした。

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陸軍士官学校(Wikipedia)

陸軍将校たちは、原則として全員が陸軍士官学校(陸士)卒業生たちでした。

さらに、優れた人握りの人物たちのみが、陸軍大学校(陸大)に通って、出世してゆきました。

東條英機

当然だが、
この東條英機は陸士も陸大も出ている!

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江田島の海軍兵学校(江田島 日本の海軍教育 別冊歴史読本 新人物往来社)

海軍将校たちは、原則として全員が海軍兵学校(海兵)卒業生たちでした。

陸軍同様、優れた人握りの人物たちのみが、海軍大学校(海大)に通って、出世してゆきました。

山本五十六

この山本五十六も
海兵、海大の卒業生だ!

帝国軍部・大本営の中枢にいた人物は、ほぼ全員が「陸士・陸大」か「海兵・海大」卒業生でした。

当時の陸士と海兵は、「東大(一高)よりも難関」と言われる存在でした。

例えば、卒業期によって生徒数に変化がありますが、海兵は概ね一学年140〜150名でした。

この「一学年人数」は、戦争末期に大幅に増加しました。

その理由は、「将校を急速に、多数育成する必要があった」ことが原因でした。

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海兵40期の同期:左上から時計回りに大西瀧治郎 航空本部総務部長、宇垣纏 連合艦隊参謀長、山口、福留繁 軍令部第一部長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往社,Wikipedia)

宇垣纏・山口多聞・大西瀧治郎ら海兵40期は、「144名の卒業生」でした。

「たった144名」であり、現代の東大は「一学年3,000名ほど」です。

このことを考えると、海兵も陸士も「現代の東大の上層部」の若者たちのみが合格できました。

さらに、陸大と海大は、現代の大学院のレベルではなく、「大学院を超えた兵学研究機関」でした。

つまり、帝国軍部・大本営の中枢にいた人物たちは、全員が「兵法を極めた人物」たちのはずでした。

ところが、昭和天皇から見た陸海軍将校たちは、

昭和天皇

兵法の根本原理を
体得していなかった・・・

「兵法の根本原理を体得していなかった」と、痛烈を超えた批判をしています。

この昭和天皇の批判を、もし、陸海軍将校たちが「直接に聞いた」時。

自分自身が「超エリート」と考えているのに、「根本原理を理解していない」という批判に対しては、

東條英機

・・・・・

「なんとも答えようがない」状況となったでしょう。

この不思議な「根本原理の未体得」こそが、昭和天皇が第一に挙げた敗戦原因でした。

次回は上記リンクです。

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