前回は「昭和天皇が語る「昭和の真実」・昭和天皇独白録〜陸海軍を統帥した天皇・大日本帝国憲法下の異質な国家大日本帝国〜」の話でした。
「大元帥」であった昭和天皇vs「米軍最高司令官」の米大統領

戦前、大日本帝国憲法によって「陸海軍の統帥権」を握っていた昭和天皇。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
現在の日本国憲法では、天皇は「Symbol=象徴」と規定されています。
憲法上、日本国の国家元首は内閣総理大臣です。
敗戦後、現行憲法となった後も天皇自ら外交することもあり、天皇の地位は圧倒的です。
昭和天皇朕は、
「神聖不可侵の元首」である・・・



朕が、大日本帝国の
陸海軍を統帥する・・・
米国では、陸海軍のトップはもちろん大統領であり、「米軍最高司令官」となります。





このRooseveltは
United Statesの大統領であり・・・



同時に、United Statesの全米軍の
最高司令官なのだ!
大日本帝国憲法において、この「陸海軍を統帥する」昭和天皇は、「大元帥」と呼ばれる立場でした。





朕は天皇であると
同時に・・・



陸海軍を統帥する
大元帥である・・・
米国大統領が最高司令官になるのは、分かりやすいですが、天皇は「大元帥」でした。
「最高司令官」は「最高の司令官」であるので、意味としては明確です。
それに対して、大元帥は「元帥の大なるもの」であり、意味としてはやや不明瞭に感じます。
この「やや不明瞭な点」こそが、大元帥たる天皇の統帥だった、と言えるかも知れません。
御前会議というもの:1938年まで開催されなかった御前会議


天皇であると同時に大元帥であった昭和天皇は、大日本帝国憲法上、最高の権限を有していました。
そのため、帝国政府及び大本営の最終的な意思決定は、「天皇から裁可を得る」必要がありました。
この「天皇の裁可」の象徴が御前会議でした。


敗戦の昭和20年・1945年の翌年、昭和21年・1946年の3月〜4月に、昭和天皇は側近に語りました。
昭和天皇のみが知っている「昭和の歴史の真実」を。
この昭和天皇が語った「昭和の歴史の真実」が昭和天皇が崩御した翌々年の1991年に出版されました。



御前会議は、
昭和開幕から太平洋戦争開戦まで・・・



八回
開かれている。
「昭和天皇独白録」には、御前会議の開催回数とその期日、内容を明確に述べています。
一般的には、御前会議は「最高意思決定機関」として、頻繁に行われたイメージがあります。
実は、昭和開幕から太平洋戦争開戦(昭和20年)の間に、たった8回行われたのみでした。
つまり「20年の間に8回」であり、ざっと計算すると「2.5年に1度開催」だった御前会議。



第一回は南京攻略後の
昭和13年1月11日・・・
「昭和天皇独白録」によると、昭和における御前会議初回は、昭和13年1月11日でした。
つまり、昭和が始まってから昭和12年までは、一度も開催されなかったのが御前会議でした。
昭和13年は1938年であり、昭和初期は、当時の大日本帝国においては激動の時代でした。
| 年 | 事件名 |
| 1931 | 満州事変 |
| 1932 | 第一次上海事変 |
| 1932 | 五・一五事件 |
| 1933 | 国際連盟脱退 |
| 1936 | 二・二六事件 |
| 1937 | 盧溝橋事件・第二次上海事変 |
昭和が始まって1920年代は、比較的平和な時代でした。
1930年代以降は、軍部の力が急速に強まり、ざっと挙げただけでも上のような大事件が多数ありました。
ところが、御前会議は「開催されないまま」であった事実が明確にされています。
政治と軍事のトップにいた天皇・大元帥を囲み、政府と大本営トップが一堂に介した御前会議。
この御前会議においては、「形式的であった」という説もあります。
「昭和天皇独白録」において、昭和天皇は語っています。



所謂午前会議というものは、
おかしなものである。



枢密院議長を除く外の出席者は
全部すでに閣議又は連絡会議等において・・・



意見一致の上、出席しているので、
議案に対し反対意見を開陳し得る立場のものは・・・



枢密院議長只一人
であって・・・



多勢に無勢、
如何ともなし難い・・・



全く形式的なもので、
天皇には会議の空気を支配する決定権は・・・



ない・・・
昭和天皇は御前会議に関して、ここまで明確に「形式的であった」と独白しています。
さらには、「おかしなもの」とまで言い切った、敗戦直後の昭和天皇。
ここには、御前会議のみならず、当時の帝国政府・軍部の本質が隠されていると考えます。
次回は上記リンクです。


