御前会議というもの〜1938年まで開催されなかった御前会議・「大元帥」であった昭和天皇vs「米軍最高司令官」の米大統領〜|昭和天皇独白録2・昭和の真実

前回は「昭和天皇が語る「昭和の真実」・昭和天皇独白録〜陸海軍を統帥した天皇・大日本帝国憲法下の異質な国家大日本帝国〜」の話でした。

目次

「大元帥」であった昭和天皇vs「米軍最高司令官」の米大統領

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昭和天皇(Wikipedia)

戦前、大日本帝国憲法によって「陸海軍の統帥権」を握っていた昭和天皇。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法

現在の日本国憲法では、天皇は「Symbol=象徴」と規定されています。

憲法上、日本国の国家元首は内閣総理大臣です。

敗戦後、現行憲法となった後も天皇自ら外交することもあり、天皇の地位は圧倒的です。

昭和天皇

朕は、
「神聖不可侵の元首」である・・・

昭和天皇

朕が、大日本帝国の
陸海軍を統帥する・・・

米国では、陸海軍のトップはもちろん大統領であり、「米軍最高司令官」となります。

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左上から時計回りに、Franklin Roosevelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、Frank Knox海軍長官、Henry Stimson陸軍長官(Wikipedia)
Roosevelt

このRooseveltは
United Statesの大統領であり・・・

Roosevelt

同時に、United Statesの全米軍の
最高司令官なのだ!

大日本帝国憲法において、この「陸海軍を統帥する」昭和天皇は、「大元帥」と呼ばれる立場でした。

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大本営組織図(歴史人2019年9月号別冊 KKベストセラーズ)
昭和天皇

朕は天皇であると
同時に・・・

昭和天皇

陸海軍を統帥する
大元帥である・・・

米国大統領が最高司令官になるのは、分かりやすいですが、天皇は「大元帥」でした。

「最高司令官」は「最高の司令官」であるので、意味としては明確です。

それに対して、大元帥は「元帥の大なるもの」であり、意味としてはやや不明瞭に感じます。

この「やや不明瞭な点」こそが、大元帥たる天皇の統帥だった、と言えるかも知れません。

御前会議というもの:1938年まで開催されなかった御前会議

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御前会議:1938年(Wikipedia)

天皇であると同時に大元帥であった昭和天皇は、大日本帝国憲法上、最高の権限を有していました。

そのため、帝国政府及び大本営の最終的な意思決定は、「天皇から裁可を得る」必要がありました。

この「天皇の裁可」の象徴が御前会議でした。

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昭和天皇独白録(文藝春秋)

敗戦の昭和20年・1945年の翌年、昭和21年・1946年の3月〜4月に、昭和天皇は側近に語りました。

昭和天皇のみが知っている「昭和の歴史の真実」を。

この昭和天皇が語った「昭和の歴史の真実」が昭和天皇が崩御した翌々年の1991年に出版されました。

昭和天皇独白録

御前会議は、
昭和開幕から太平洋戦争開戦まで・・・

昭和天皇独白録

八回
開かれている。

「昭和天皇独白録」には、御前会議の開催回数とその期日、内容を明確に述べています。

一般的には、御前会議は「最高意思決定機関」として、頻繁に行われたイメージがあります。

実は、昭和開幕から太平洋戦争開戦(昭和20年)の間に、たった8回行われたのみでした。

つまり「20年の間に8回」であり、ざっと計算すると「2.5年に1度開催」だった御前会議。

昭和天皇独白録

第一回は南京攻略後の
昭和13年1月11日・・・

「昭和天皇独白録」によると、昭和における御前会議初回は、昭和13年1月11日でした。

つまり、昭和が始まってから昭和12年までは、一度も開催されなかったのが御前会議でした。

昭和13年は1938年であり、昭和初期は、当時の大日本帝国においては激動の時代でした。

事件名
1931満州事変
1932 第一次上海事変
1932五・一五事件
1933国際連盟脱退
1936二・二六事件
1937盧溝橋事件・第二次上海事変
昭和開幕から昭和13年(1938年)までの大事件

昭和が始まって1920年代は、比較的平和な時代でした。

1930年代以降は、軍部の力が急速に強まり、ざっと挙げただけでも上のような大事件が多数ありました。

ところが、御前会議は「開催されないまま」であった事実が明確にされています。

政治と軍事のトップにいた天皇・大元帥を囲み、政府と大本営トップが一堂に介した御前会議。

この御前会議においては、「形式的であった」という説もあります。

「昭和天皇独白録」において、昭和天皇は語っています。

昭和天皇

所謂午前会議というものは、
おかしなものである。

昭和天皇

枢密院議長を除く外の出席者は
全部すでに閣議又は連絡会議等において・・・

昭和天皇

意見一致の上、出席しているので、
議案に対し反対意見を開陳し得る立場のものは・・・

昭和天皇

枢密院議長只一人
であって・・・

昭和天皇

多勢に無勢、
如何ともなし難い・・・

昭和天皇

全く形式的なもので、
天皇には会議の空気を支配する決定権は・・・

昭和天皇

ない・・・

昭和天皇は御前会議に関して、ここまで明確に「形式的であった」と独白しています。

さらには、「おかしなもの」とまで言い切った、敗戦直後の昭和天皇。

ここには、御前会議のみならず、当時の帝国政府・軍部の本質が隠されていると考えます。

次回は上記リンクです。

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