前回は「西南戦争の爪痕 1」の話でした。

西南戦争の際の、銃弾跡が残る塀。
こういう塀が残されていることもまた、薩摩らしさを感じます。
鶴丸城の石垣の残っている銃弾の戦いの頃は、西郷軍が追い詰められている頃です。
なんとなく、「西郷軍が押されて、一方的戦いになりつつあった」のが感じられるのは、気のせいでしょうか。

太平洋戦争(大東亜戦争)の解釈の事もあり、戦争などの血塗られた歴史の痕跡は、日本国内にはあまり多くないです。
小学校〜高校の歴史の授業では、戊辰戦争にしても西南戦争にしても、割合あっさりと教えられている感じがします。
白虎隊の悲劇などは触れるものの、明治維新は「比較的流血が少ない平和革命」と言われています。
ウクライナ戦争が勃発し、報道以外に、身近に戦争を感じられる機会がほとんどない、平和な国の日本。
平和なことはとても良い事ですが、文字通り銃弾やミサイルが飛び交っている場所がある現実もあります。
戊辰戦争よりも西南戦争は大規模で、日本最大の内戦でした。
この少し前には、当時世界最大の大英帝国を相手取って、薩摩は戦います。

西南戦争は大変な規模の、猛烈な戦いであったのです。

一時は「維新の顔」であった西郷隆盛。
西郷は、大久保利通や岩倉具視との政争に敗北して、最後は部下達に担ぎ出されるように戦争に至りました。

西南戦争に関しては、別の機会にご紹介したいと思います。
血塗られた歴史を実感できる、この場所。
ぜひ、足を運んで頂きたいと思います。