前回は「薩摩の国|幕末維新」の話でした。

維新の偉人達の銅像を拝見しながら、街中を歩いて鶴丸城へ。

この城は関ヶ原の戦い直後に、薩摩藩初代藩主 島津家久が築いた城です。

薩摩らしい、華麗さはないものの、朴訥とした力強さが感じられる雰囲気です。
城は築いた大名や、住んでいた大名の性格が如実に表れます。
ここへ来たかったのは、近くの私学校跡地の石垣に、歴史が刻まれているからです。
鶴丸城付近の石垣には、西南戦争の際の銃弾跡が残っています。

この銃弾は、おそらく西郷軍が北へ向かった後、敗走を続けて、薩摩に戻ってきた後の戦闘の際のものだと思います。

当時のまま、保存されているようです。
銃弾の数はそれほど多くなく、戦争の恐ろしさは感じられますが、「激戦」という雰囲気ではないです。

西南戦争の一つの山場となった「田原坂の戦い」では、あまりに戦闘が激し過ぎて、銃弾が雨のように行き交いました。
銃弾同士が、正面同士から衝突した「かち合い弾」も出て、それが残されています。
明治維新を切り開いた原動力・薩摩。

その薩摩の猛烈なパワーが、感じられる場所です。