前回は「真珠湾奇襲攻撃 36〜艦隊の再編成へ向かう米海軍〜」でした。

ちょうど「戦艦から空母へ」の過渡期に実施した真珠湾奇襲攻撃。
山本長官が立案した「正規空母6隻の集中運用による攻撃」は、当時は前代未聞でした。
空母部隊が、遠く離れたハワイに奇襲攻撃することは、当時考えられなかったのです。

山本長官の戦略・戦術能力などに関しては賛否両論あります。
しかし、彼はまさしく「海軍の中心人物」でした。
これだけの前代未聞の大作戦を成し遂げた力量、そして「人をまとめる力」は卓越していました。
この中、二航戦の山口多聞司令官は早くから空母主軸論を張っていました。

これからは、空母だ!
山口司令官は海軍兵学校40期で、この期は「花の40期」と言われるほど多士済々。


同期には、早くから航空派に転じ、山口司令官を航空派に導いた大西瀧治郎 第十一航空艦隊参謀長がいます。



早くから、航空機には目をつけていた。
大西参謀長は山本長官から真珠湾奇襲攻撃をまとめる役目を命じられ、見事にまとめ上げました。


さらには山本長官を補佐する宇垣纏 連合艦隊参謀長も同期です。
「大艦巨砲主義の権化」とも言われた、宇垣参謀長。
かつて軍令部No.3の第一部長だった時に、巨大戦艦大和・武蔵の建造を誰よりも強く推進しました。


戦艦大和(Wikipedia)


「山本長官とは合わなかった」と言われる宇垣参謀長。



戦艦こそが、海軍の主力だ。
山本長官に仕えるうちに航空隊の威力を認め、補佐します。
のちには、第五航空艦隊司令長官となります。


他には、福留繁軍令部第一部長や、第五航空戦隊所属の空母瑞鶴艦長の城島高次もいます。


海兵40期の猛者たちが、前代未聞の真珠湾奇襲攻撃を支えていました。