「新たな時代」の到来を告げた信長〜石材確保と偶像破壊の両立・カンナ手にして工事指揮・「大工の立場を重視」の配慮〜|ルイス・フロイス「日本史」11

前回は「戦国の世に極大激震もたらした信長「将軍奉戴入京」〜猛烈な勢いで京復興へ・一気に「六角駆逐」と近畿圏大名の降伏〜」の話でした。

目次

カンナ手にして工事指揮:「大工の立場を重視」の配慮

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京都御所(Wikipedia)

「流浪の将軍後継者」であった覚慶を奉じて、大軍勢で京に向かって駆け抜けた信長。

1568年の事で、信長が美濃を奪取した翌年の出来事でした。

この事実は極めて有名であり、戦国時代が好きな人ならば、誰でも知っています。

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ルイス・フロイス「回想の織田信長」(新歴史紀行)

ルイス・フロイスは、この前後の織田家・信長の動きを極めて詳細に綴っています。

Frois

そして、彼は公方様のために
新たな城とは甚だ広大で華麗な建築の宮殿を造った・・・

Frois

日本の諸侯及び全ての貴族が集まったので、
通常二万五千人が働き・・・

Frois

少ない時でも一万五千人を
数えたという・・・

応仁の乱で荒廃を極めた上に、三好一党が暴れていたため、将軍が住む御所がなかった当時の京。

Frois

信長は藤の杖(カンナ)を手にして
作業を指図した・・・

Frois

建築用の石が欠乏していたので、
彼は多数の石像を倒し・・・

Frois

頸に縄をつけて、
工事場に引かしめた・・・

「信長自ら工事を指揮」は有名ですが、「自ら藤の杖(カンナ)」を持って指示」は意外です。

本来ならば、「武器を持って指示」ですが、「工具を持って指示」は好感が持てます。

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建築現場(新歴史紀行)

工事に従事していた大工などにとって、工具は極めて大事なものです。

その工具を持って、「大工の立場を重視」して工事を指揮した信長。

「傲岸不遜な覇王」の印象が強い信長ですが、若い頃は「他人に配慮する性格」でありました。

さらに、ここで注目すべきは「石不足で石像を破壊して、頸に縄をつけて引いた」事実です。

Frois

都の住民はこれらの偶像を
畏敬していたので・・・

Frois

それは彼らに驚嘆と恐怖の念を
生ぜしめた・・・

悪逆無道の三好一党ですら「出来なかった」ことを、易々と成し遂げ続けた信長。

その信長に対して、当時の京の人々は「驚嘆と恐怖」と同時に、ある種の安心感を感じたでしょう。

「新たな時代」の到来を告げた信長:石材確保と偶像破壊の両立

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金閣寺(新歴史紀行)

信長が京に入った時には、既にあった金閣寺。

戦乱の中、1568年当時、金閣寺は残っていたと思われます。

おそらく、信長は金閣寺を見に行ったはずですが、フロイス日本史には記載ありません。

Frois

領主の一人は、部下を率い、
各寺院から毎日一定数の石を搬出させた・・・

Frois

人々はもっぱら信長を喜ばせることを
欲したので、少しもその意に背く事なく・・・

Frois

石の祭壇を破壊し、仏を地上に
投げ倒し、粉砕したものを運んできた・・・

Frois

他の者は濠を拓き、また他の者は石を運んだり、
山中へ木材を伐りに行ったので・・・

Frois

まるでカルタゴ市におけるディドの
建築工事の絵を見るようであった・・・

とにかく、「突如現れた希望の星」である信長に対して、京周辺の大名・小名は、

京周辺の大名S

信長様に
喜んで頂くのだ!

信長の歓心を買うために、勇んで石の祭壇などを破壊したことを伝えています。

ここで少々不思議なのは、「建築用の石の調達」のために、わざわざ仏像を多数破壊したことです。

確かに、「一つの合理的な石の獲得手段」でしたが、他にも石の調達は可能であったはずです。

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今治城(新歴史紀行)

信長入京の1568年から30年余り後の今治城築城では、瀬戸内海の大理石が多数使用されました。

「今治城の大理石」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

当時、瀬戸内海周辺の島々には、多数の石材があったと思われます。

それに対して、信長の勢力圏であった近畿周辺には、石材よりも木材が多い印象があります。

1602年の藤堂家と、1568年の織田家では時代が違いますが、権力・勢力は比較になりません。

当時の信長であれば、石材を瀬戸内海周辺から運ぶことも容易であり、他にも手段はあったはずです。

それにも関わらず、

織田信長

石材が足りないなら、
石像を潰せ!

石材確保のために「石像を潰した」信長。

その意図は、まさに「偶像破壊」にありました。

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戦国大名 松永久秀(Wikipedia)

戦国期の「悪虐非道の代名詞的存在」である松永久秀。

松永久秀は、「東大寺焼き討ち」で有名で、これは信長入京の前年1567年の事でした。

これは、松永が「わざわざ東大寺を焼く」ことを意図したのではなく、戦場の余波と考えます。

おそらく、1568年入京時点で、信長は「松永の東大寺焼き討ち」を知っていたでしょう。

その上で、石像破壊による偶像破壊によって、「新たな世を自分が作り出す」ことを知らしめた信長。

そこには、天下人となる信長の深謀遠慮があったのでした。

信長は、高々と、京・近畿圏の大名・民衆に告げました。

「新たな時代」の到来、を。

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