前回は「「新たな時代」の到来を告げた信長〜石材確保と偶像破壊の両立・カンナ手にして工事指揮・「大工の立場を重視」の配慮〜」の話でした。
石像破壊で「旧秩序破壊」目論んだ信長:守護代以下の織田家

覚慶を奉じて入京を果たした織田信長は、次々と京復興の手を打ちました。

ルイス・フロイスは、この頃の信長の政策を細かく描写しています。
Frois信長は藤の杖(カンナ)を手にして
作業を指図した・・・



人々はもっぱら信長を喜ばせることを
欲したので、少しもその意に背く事なく・・・



石の祭壇を破壊し、仏を地上に
投げ倒し、粉砕したものを運んできた・・・
猛烈な勢いで建築を進める一方で、石像・偶像破壊による「新たな時代」の到来を告げた信長。


当時の織田家の勢力圏は、尾張・美濃であり、将軍奉戴入京によって、近畿周辺の大名が従いました。
この「大名たちが従った」のは、「実力者の信長に対して」ですが「将軍家に対して」が濃厚でした。





皆、再び
この足利家に仕えたいか・・・



よかろう・・・
足利に従うものは、来るのだ・・・
根幹は「織田家の軍事力」でしたが、「足利将軍家の威光」もまた極めて重要でした。
この意味では、当時の近畿の大名たちは「足利家と織田家に従属」という形式でした。
そして、この「足利家と織田家」では、「足利家の方が遥かに分がある」状況でした。
| 守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
| 守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家・大内家・六角家 |
| 守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家 |
| 国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家) |
これは当然のことであり、そもそも「守護代ですらなかった」立場の織田家。
「下剋上の戦国時代」とはいえ、まだまだ「室町の香り」が強く残存していました。
ここで、「石像・偶像破壊」に乗り出した信長には、他の意図が込められていました。
「家格が低い織田家」という「旧秩序の破壊」も目論んでいたでしょう。
京の鐘の音=信長の命令:新たな京支配者の意気込み「不埒者即処断」





彼(信長)は吊り上げ橋がある
非常に大きく美しい濠を造り・・・



その中に種々の多数の大小の
鳥を入れた・・・



彼はその濠に三つの広大で
よくしつらえた入口を設け・・・



その見張り所と砦を
築いた・・・



その内部には第二の
より狭い濠があり・・・



その先には、はなはだ完全に作られた
非常に美しく広い中庭があった・・・
信長が作った濠に関して、ルイス・フロイスの説明は非常に細かいです。



建築中、彼は市(まち)の内外の
寺院で鐘を撞くことを禁じ・・・



ただ一つ、人々を参集し解散させる
目的で城中に置いたものだけ撞くことを命じた・・・



その鐘が鳴ると、全ての殿たちは
部下たちと共に・・・



直ちに鋤およびその他必要な道具を手にして
建物の下で命令に応じるよう準備した・・・
この描写も、非常に興味深いです。
「自らの命令で撞く鐘」のみを残し、他の鐘を撞くことを禁じた信長。
つまり、



今、京で鐘を撞く音が聞こえたら、
それは即ち余の命令だ!
当時の京とで聞こえた「鐘の音=信長の命令」であり、極めて分かりやすい状況を生んだ信長。



信長は、ほとんど常に坐るために
虎皮を腰に巻き・・・



粗末な衣服を着用しており、彼の例に倣って
全ての殿および家臣の大部分は労働のために皮衣を着け・・・



建築の続行中は、何びとも彼の前へ美しい
宮廷風の衣装をまとって出るものはなかった・・・
足利将軍家がいる以上、「足利将軍の京」でしたが、事実上の「京軍事長官」となった信長。
戦国の世であるため、平時よりも「軍事力こそが全て」だった当時、信長は粗末な服を着続けました。
そして、織田家家臣及び新たに従属した大名たちもまた、信長に追従せざるを得ませんでした。



建築を見物しようと
望むものは・・・



男も女もすべて草履を脱ぐこともなく
彼の前を通る自由を与えられた・・・
当時、民衆にとっては「雲の上」の人物であった信長でしたが、すぐ近くを通ることが出来たようです。
もちろん、護衛の兵士は多数いたでしょうが、「草履を脱ぐこともなく」が重要です。
信長は、「京の民衆との和」を極めて重視し、自らの立場の向上を目論んだのでしょう。



ところで、かつて建築作業を行っていた間に、
一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして・・・



その被り物を少し上げたことが
あった時・・・



信長は、たまたまそれを
目撃し・・・



ただちに一同の面前で
手ずからそこで彼の首を刎ねた・・・
この「戯れ兵士を即斬った」話は有名です。
この「不埒者を即処断」する信長は、フロイスの描写によって、当時の様子がありありと分かります。
京の民衆にとって「頼り甲斐がある人物」となることを強く望んだ信長。
民衆に「すぐ近くに来る」ことを認め、民衆の立場で「不埒者を即処断」した信長。
この一連のフロイスの記述からは、「傲岸不遜」と言われる信長の一つの側面が伺えます。
これらの行為は、信長にとって「計算ずくのこと」であったでしょう。
その一方で、フロイスの描写をよく読み込むと、信長の緻密な気遣いが感じられます。
「守護代ですらない家柄である織田家が京の新たな支配者」となったこと、への。

