前回は「大理石が多用された「化粧石垣」の今治城〜美しさ引き立てる石垣・大量の美しい石を「タダ取り」した渡辺勘兵衛・50歳間近の藤堂高虎の猛烈な意気込み〜」の話でした。
あたかも「瀬戸内海に築城」した今治城:不沈空母のような多彩な島々

日本一美しい水城である今治城では、石垣に多数の大理石が使用されていることが特徴です。

瀬戸内海のすぐ近くに築かれた、「水海城」である今治城。
石垣を作るための石を集めることは、築城における難事業の一つでした。
物流において、当時、水運は現代よりも遥かに重要度が高い存在でした。

川の近くに築城された犬山城では、川の物流を築城に大いに活用したでしょう。
犬山城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

伊予において、瀬戸内海の近くというよりも、「瀬戸内海に築城した」ような今治城。
日本近海において、瀬戸内海には多数の島々がある点が大きな特徴です。
さらに、内海であるため、温和な海であった瀬戸内海は、古来から水運が極めて盛んでした。
不沈空母のような島々が多数ある瀬戸内海では、様々な集団・組織が拠点を構えやすい地でした。
そのため、古来から瀬戸内海では多数の「水の民」が組織化され、水軍や海賊が登場しました。

そして、瀬戸内海と瀬戸内海の島々を間近に臨む位置にある今治城。
今治城の築城においては、瀬戸内海の水運のみならず、島々も多数利用されました。
その結果、島々から集めた特殊な石であった大理石が多くなったと思われます。
史上初「海と直接つながる」城:近江出身の藤堂高虎の思い

この「大理石による美しい石垣」は、築城した藤堂高虎が「どこまで意図したのか」は不明です。

藤堂高虎私は、様々な
主人に仕え、ついに大名になった!



私にとっては、
故郷の近江は特別な存在だ!
近江出身の藤堂高虎は、その後、近畿や四国を領する大名になりました。
近江出身の武将たちは、琵琶湖に大いなる憧憬を持っていたでしょう。
日本一の湖である琵琶湖は、海と比較すると規模は小さいです。
その一方で、内陸部で「陸に囲まれた水面」である琵琶湖は、「水との親近感が強い」傾向があります。



美しき水城を
つくりたい!
おそらく、近江出身の藤堂高虎は、水城に対して特別な意識を持っていたでしょう。


今治城には、昔の記録が多数展示されており、歴史がダイレクトに感じられます。


天保年間の今治城の設計図・縄張図も残っており、整然とした街並が作られていました。
北側(図面左下)には、瀬戸内海が一部描かれています。
さらに、瀬戸内海と堀が直接接続していたことが分かります。



我が今治城は、
瀬戸内海と繋がっているのだ!



これまでに水城は
いくつか築城されたが・・・



海と繋がった
水城は、この今治城が史上初であろう!
おそらく、今治城が築城された当時、「海と直接つながった城」は史上初だったでしょう。


江戸時代に、各藩が発行した藩札。
藩札とは、「藩独自の通貨」であり、藩の信用によって発行したお金です。
今治藩が発行した「今治藩札」も展示されており、非常に充実しているのが、今治城の城内展示です。
外観が美しい今治城ですが、ぜひ城内の展示にも足を運んでみて下さい。


