前回は「羽柴秀吉 7〜民衆の力を駆使する秀吉〜」という話でした。

桶狭間において、若き秀吉は彼しか持ち得ない民衆のパワーを駆使した秀吉。
今川軍を分断し、本陣を他の諸隊から遠ざけるように暗躍した一人だったでしょう。
「信長の奇襲を成功させる」大きな一因を、秀吉率いる「民衆部隊」が作ったように考えます。

「桶狭間の戦いで油断していた今川義元は愚将」という評価もあります。
しかし、これまでの義元の生き方を見ると、大大名の当主たる能力をもつ人間でした。
しかし、育ちが良く、民衆の底力は知る由もなかった今川義元。
民衆のパワーに足元をすくわれ、思いもがけない大敗北を遂げ、討死します。

秀吉は、織田家の将来を大きく発展させる、極めて大きな軍功を挙げました。
それほどの大きな軍功をあげない限り、秀吉の出自や背景を考えると織田家における急な出世は不可思議です。

数多いる家臣からまるでピンポイントのように秀吉を引き上げた信長。
神がかった能力をもった信長としても、そのくらい際立った軍功がないと、こうはならないでしょう。

猿めは、
非常に優れた特殊な才能がある。
秀吉の特殊な能力・技能は当時「秀吉のみ保有する」特殊能力で、日本で唯一つでした。
様々な経験をし、諸国を歩いた上で、自分だけの特殊能力を発見した秀吉。
そのためには、生まれながらの才能と「地べたを這いずり回った経験」が必要でした。



身分が低かったからこそ、
分かることがあるのだ!
そういう人間は当時、「秀吉しかいなかった」のでした。
それを活かせる主君として、信長率いる織田家に白羽の矢をたてます。
そして、桶狭間・田楽狭間の戦い以降、メキメキ頭角を表します。
諜報・情報を非常に重視したのは、他に武田晴信(信玄)などいます。秀吉は、主君として晴信も検討したでしょう。


仮に秀吉が晴信に仕えたところで、織田家における秀吉のような出世は考えられない。
晴信は非常に保守的で、とても「身分を問わずに登用」という状況ではありませんでした。
後世から見れば傑出した「超天才」とも言える織田信長。若き頃の信長を見出した人物は非常に少ない。


斎藤道三が非常に高く評価した逸話もあります。



信長はうつけなどではなく、天才だ!



わが 息子たちは、
あやつの家臣に組み込まれるだろう。
しかしこれは、信長が「娘婿」であることは割り引いて考えなければならないでしょう。



さすがは、
わしの娘婿!



信長様こそ我が主君に!
そして、信長様をおいて、他にはいない!
と「信長を選んだ」秀吉。
さすがに神のような慧眼の持ち主でした。