前回は「民衆の力に目覚めた羽柴秀吉〜今川本陣を手中に・西上作戦の今川義元の狙い・織田家を選んだ秀吉の慧眼・軍勢と農民と民衆〜」の話でした。
諸国を流浪して大名たちを「つぶさに観察」した羽柴秀吉
諸国を流浪し、東海地方周辺の国々・大名の状況を「つぶさに観察」した秀吉。
私が仕えるのは、
どの大名が最も良いのか・・・
当時の日本で、秀吉の能力を「十二分に評価する」可能性のある大名を探します。
その結果、
私には織田信長様しか
いない!
そして、織田家を選んで織田家に入った秀吉。
桶狭間・田楽狭間の戦いでも、大いなる軍功を挙げます。
素性が全く不明な秀吉は「尾張出身」とされていますが、それすら不明です。
後に豊臣秀吉となった羽柴秀吉は、
私は
日輪の子である!
様々な「出生説」を自ら作り出しました。
この「尾張出身の羽柴秀吉」もまた、
信長様に仕えるならば、
尾張出身が良いだろう・・・
秀吉が「自らの出身地を創作した」可能性はあります。
実際の秀吉の出生地は、尾張周辺の尾張・三河・遠江・美濃あたりのどこかでしょう。
尾張周辺とはいえ、このように諸国を回る武士は当時少数派でした。
少し後世になった頃には、大名家を転々とする武将が登場しますが、秀吉の頃は武士は土着型でした。
「実力主義の戦国時代」とは言え、秀吉のようなタイプは非常に少なかったのでした。
「少なかった」というより、「いなかった」でしょう。
清洲城塀の修理奉行で見せた機転:藤堂高虎との相違点
「諸大名転々組」で、最も有名な藤堂高虎。
藤堂高虎は、
自分の力量を認めてくれるのは
どの大名だ?
己の高い(と自分で考えている)
レベルに合う主人は誰だろうか・・・
藤堂は、諸国を転々と彷徨いました。
ところが、秀吉が信長に仕え始めた頃は、まだそういう雰囲気は少なかったように思います。
また、秀吉と藤堂高虎の大きな違いは、藤堂が武家(侍)出身であることです。
武家出身の藤堂ならまだしも、仕える以前の「身分がよくわからない」秀吉。
秀吉は、仕官には非常に苦労したでしょう。
私には、
紹介者がいない・・・
針売り、など様々な職業を
点々とした経験があるが・・・
大名に仕官するのは、
なかなか難しい・・・
「信長を選んだ」というところが、後の天下人となる秀吉の、秀吉たる所以であると思います。
私は役立つ人材が、
欲しいのだ!
家柄などに、あぐらかいている奴など、
要らない!
その前年1559年(諸説あり)に、清洲城塀の修理奉行となった秀吉の有名な逸話があります。
台風で大きく破損した塀を修理する際に、秀吉は一計案じます。
ただ修理するのでは、
皆が漫然とやるだろう・・・
競争するのが
良いな・・・
そして、塀を分割して組に分けて互いに競わせた秀吉。
最も早く修理した
班には褒美を与える!
そして、修理を異常なスピードで完了しました。
これは、秀吉の頭脳の明晰さを物語る話です。
拡大する蜂須賀小六たちとの活動
この時、蜂須賀小六などの「民衆」の力を、秀吉がうまく使ったのではないかと思います。
まだ「木下藤吉郎」と名乗っていた秀吉。
蜂須賀殿。
ちょっと相談がある・・・
ああ、藤吉郎・・・
なんだ?
尾張・美濃周辺の川並衆を、従えていた蜂須賀小六。
この「清洲城塀の修理」でも、小六たちの「民衆の知恵」を借りた可能性もあります。
蜂須賀小六は、秀吉よりも格上の立場でした。
清洲城の塀を改修するのだが、
良い知恵はないだろうか?
それなら、褒美を与える約束をして、
競わせるのが良いだろう。
な、
なるほど!
褒美で競わせるのは、
良いアイデアだ!
さすが、野武士たち、荒くれ共を
束ねる小六だ・・・
おそらく「秀吉の知恵」も、「小六たちの入れ知恵」が多かったのでしょう。
当時、尾張のほぼ全土を制圧し、津島などの港を押さえ、商業的に非常に発達した尾張。
さらに、米の生産高の基準となる石高においても、日本有数の生産量を持ち、57万石ほどありました。
他国に比べて金銭収入が異常に多く、経済的に非常に恵まれた織田家。
織田には、他大名より金銭は
たくさんある!
当時、兵は専門兵ではなく、多くは平時は農民でした。
そして、「戦時に駆り出された」あるいは「一儲け狙った」者ばかり。
後に、兵農分離を推進する織田家。
1559年頃の織田軍は、他の大名同様に「平時は農民」で構成されていました。
もっと、
軍勢が欲しい!
蜂須賀らの正規兵ではない「民衆」の一部とも言える傭兵を「金銭で雇う」こと。
これは、織田家にとっては容易なことであり、ある意味では大変合理的であったのでした。
武田家・上杉家・北条家・毛利家などでも、傭兵を雇うことはあったでしょう。
傭兵を
たくさん雇う?
軍勢は増強したいが、
経済的に負担が大きすぎる・・・
また、情報が
漏洩しやすくなるのではないか・・・
武田や上杉は、織田家ほど大々的に雇う発想はなかったでしょう。
とにかく、
力が欲しい!
まずは
武力だ!
武力がなければ、
始まらん!
「卓越した信長・秀吉の発想+卓抜した織田家の財力」のみ成しえたことでした。
恩賞で競わせ、
塀の修理を早期に終えました!
少し金がかかっても、
仕事が早く終わる方が良い!
なんでも、
「早く」終わるのが望ましい!
猿(藤吉郎)の発想は、
面白い!
織田には、
この新しい発想が必要だ!
民衆の心は、
よく知っております!
民衆をうまく活かすことにおいて、
この秀吉の上をゆく人間はいない!
「秀吉しか持っていなかった能力」が、光を放ち始めた瞬間でした。
そして、その「秀吉だけが持つ能力」こそ、秀吉を天下人へ押し上げた原動力でした。
次回は上記リンクです。