羽柴秀吉 9〜拡大する蜂須賀たちとの活動〜|戦国武将

前回は「羽柴秀吉 8〜民衆の力に目覚める秀吉〜」の話でした。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

諸国を流浪し、東海地方周辺の国々・大名の状況を、つぶさに観察した秀吉。

当時の日本で、秀吉の能力を「十二分に評価する」可能性のある大名を探します。

その結果、

織田信長様しかいない!

と、織田家を選んで、織田家に入った秀吉。

桶狭間・田楽狭間の戦いでも、大いなる軍功を挙げます。

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

少し後世になった頃には、大名家を転々とする武将が登場します。

「諸大名転々組」で、最も有名な藤堂高虎。

藤堂は「自分の力量を認め、己の高い(と自分で考えている)レベルに合う主人」を転々と彷徨いました。

藤堂 高虎(Wikipedia)

しかし、秀吉が信長に仕え始めた頃は、まだそういう雰囲気は少なかったように思います。

また、秀吉と藤堂高虎の大きな違いは、藤堂が武家(侍)出身であることです。

武家出身の藤堂ならまだしも、仕える以前の「身分がよくわからない」秀吉は、仕官には非常に苦労したでしょう。

私には、紹介者がいない。

針売り、など様々な職業を点々とした経験があるが・・・

大名に仕官するのは、なかなか難しい・・・

「信長を選んだ」というところが、後の天下人となる秀吉の、秀吉たる所以であると思います。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

私は役立つ人材が、欲しいのだ。

家柄などに、あぐらかいている奴など、
要らない!

その前年1559年(諸説あり)に、清洲城塀の修理奉行となった秀吉の有名な逸話があります。

台風で大きく破損した塀を修理する際に、秀吉は一計案じます。

塀を分割して、組に分けて互いに競わせることで、修理を早く完了しました。

清洲城塀修理を指揮する秀吉(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

これは、秀吉の頭脳の明晰さを物語る話です。

さらに、蜂須賀小六などの「民衆」の力を、秀吉がうまく使ったのではないかと思います。

蜂須賀 正勝(Wikipedia)

まだ「木下藤吉郎」と名乗っていた秀吉。

蜂須賀殿。ちょっと相談がある。

ああ、藤吉郎か。
なんだ?

尾張・美濃周辺の川並衆を、従えていた蜂須賀小六。

蜂須賀小六は、秀吉よりも格上の立場でした。

清洲城の塀を改修するのだが、
良い知恵はないだろうか?

それなら、褒美を与える約束をして、
競わせるのが良いだろう。

なるほど!

褒美で競わせるのは、良いアイデアだ!

さすが、野武士たち、荒くれ共を
束ねる小六だ。

当時、尾張のほぼ全土を制圧し、津島などの港を押さえ、商業的に非常に発達した尾張。

さらに、米の生産高の基準となる石高においても、日本有数の生産量を持ち、57万石ほどありました。

他国に比べて金銭収入が異常に多く、経済的に非常に恵まれた織田家。

織田には、他大名より金銭は
たくさんある!

当時、兵は専門兵ではなく、多くは平時は農民で、「戦時に駆り出された」あるいは「一儲け狙った」者ばかり。

後に、兵農分離を推進する織田家。

1559年頃の織田軍は、他の大名同様に「平時は農民」で構成されていました。

もっと、軍勢が欲しい!

蜂須賀らの正規兵ではない「民衆」の一部とも言える傭兵を「金銭で雇う」こと。

これは、織田家にとっては容易なことであり、ある意味では大変合理的であったのでした。

武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田家・上杉家・北条家・毛利家などでも、傭兵を雇うことはあったでしょう。

傭兵をたくさん雇う?

軍勢は増強したいが、経済的に負担が大きすぎる。

また、情報が
漏洩しやすくなるのではないか・・・

しかし、織田家ほど大々的に雇う発想はなかったでしょう。

とにかく、力が欲しい!

まずは武力だ!

武力がなければ、始まらん!

「卓越した信長・秀吉の発想+卓抜した織田家の財力」のみ成しえたことでした。

恩賞で競わせ、塀の修理を早期に終えました!

少し金がかかっても、仕事が早く終わる方が良い!

なんでも、「早く」終わるのが望ましい!

猿(藤吉郎)の発想は、面白い!

織田には、この新しい発想が必要だ!

民衆の心は、よく知っております!

民衆をうまく活かすことにおいて、
この秀吉の上をゆく人間はいない!

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