明智光秀の卓抜した政治能力〜丹波攻略戦・壮麗な水城・坂本城・琵琶湖に佇む華麗な城・卓越した建築デザインセンス・信長に超優遇された光秀〜|明智光秀2・人物像・能力

前回は「明智光秀の性格〜雰囲気・明智光秀と羽柴秀吉と織田信長・国盗り物語のイメージ・比叡山焼き討ち・積極的に焼き討ちに参加した光秀〜」の話でした。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

光秀の卓抜した内政能力:丹波攻略戦

丹波平定後の光秀直轄領(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

浅井・朝倉戦の後、信長から坂本城を拝領した光秀。

その後に、苦労に苦労を重ね、丹波を平定し、丹波一国を信長から任せられました。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

光秀よ!
丹波一国を与える!

有難き幸せ!
大事にいたします!

1580年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

織田家が勢力が膨張に膨張を続け、光秀が織田家の重役であるとしても「一国を拝領する」のは異例でした。

しかも、当時の首都である京・山城の隣国の丹波。

非常に重要な地です。

それだけ、信長は光秀の能力を極めて高く評価していたのでしょう。

明智光秀は、丹波の領民からは大変慕われていました。

丹波の領民を
大事にするのだ!

光秀様の
治世下は、非常に過ごしやすくて、有難い!

明智様が
領主で本当によかった!

領主にとっては、「自らの領土からの税金と徴兵」が力の根源です。

丹波国は
明智家のもの!

そして、丹波国からの
税金・収入が大事な財源だ!

「慕われるように政治を行う」のもまた「当然のこと」でした。

後世、江戸時代に領民に重税をかけるなどで、一揆を起こされる領主がでました。

江戸時代のような平和な時代ならば、自らの領民を「徴税する対象」としか考えない領主がいたでしょう。

血で血をあらう戦国期は、徴税するお金も大事ですが、「軍事力の根本」となる領民からの支持は最重要課題でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田信玄は、信玄堤などの内政にかなりの力を入れる一方で、非常に重い税をかけていました。

我が甲斐は石高が小さい割に、
治水に金がかかる・・・

そして、我が武田は
四方八方戦争する必要がある・・・

民たちよ・・・
武田のために、重税を頼む・・・

信玄堤を築いてくださった信玄様の
ために、がんばろう!

うまく領民を束ねて、領民の支持は高かったのです。

あるいは比較的税金が安く、領民を慈しむように政治をしていた後北条氏は、一貫して領民の支持は高かったのです。

北条 氏康(Wikipedia)

民こそが、
国の根幹!

年貢は四公六民
でよい!

北条領は、破格の「四公六民」という非常に年貢が低い地域でした。

北条家万歳!
北条様のために、尽くす!

北条家の領土は一揆が少なく、非常に安定していました。

壮麗な水城・坂本城:琵琶湖に佇む華麗な城

坂本城イメージ図(歴史人2020年2月号 KKベストセラーズ)

明智光秀が与えられた坂本城が京都にほど近く、大変良い立地であり、恵まれた土地でありました。

坂本城は本能寺の変後、山崎の合戦を経て落城してしまったので、残っておりません。

推定されるCG等では、大変美しく、優美な城であったことが推察されます。

京都から目と鼻の先である立地に加え、坂本城がこのような美しい水城であったことは、重要です。

同時代の城にはない非常に卓越した城でした。

織田信長の苛烈な性格を考えると、明智光秀の「異常なまでの厚遇」が分かります。

京と坂本の位置関係(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

秀吉は今浜城を拝領した後、「長浜城」と名前を変えて懸命に街づくりをしました。

長浜城もまた、坂本城と同様に湖岸に突出した城でありました。

これは、信長が「琵琶湖を中心とするネットワークを構想」していたことが背景にあります。

琵琶湖ネットワーク(別冊歴史人2016年12月号ベストセラーズ)

琵琶湖の水運は、
極めて重要!

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

長浜城は現在再建されていますが、特に特徴のあるデザインではありません。

高松城の水攻め・三木城攻めなどで、「付城戦略」に非常に長けていた秀吉。

土木工事は
得意だ!

卓越した建築デザインセンス:信長に超優遇された光秀

新歴史紀行
大阪(大坂)城(新歴史紀行)

とにかく城を築くことが大好きで、城攻めが得意だった秀吉。

最後には、秀麗・華麗な大坂城を築城しました。

現存する大坂城は再建であり、天下人となった秀吉が築いた規模よりもだいぶ小さい城です。

往年の大坂城の詳細は不明な点が多いですが、おそらく「豪華だった」に尽きるのでしょう。

対して、秀麗な水城を建築した光秀。

単なる「水運を活かす城」ではなく、
琵琶湖に浮かぶ城を作ろう!

光秀は建築的センス、秀吉は土木的センスを持っていたとも言えます。

のちに豪華壮麗な安土城を建築した信長。

安土城天主 信長の館(新歴史紀行)

「なんでも
一番を目指す」のだ!

素晴らしく立派で時代の最先端をゆく城を、あんなにも良い立地に明智光秀に築城させた信長。

私は
信長様に期待され、大事にされている!

なんとも不思議な気持ちになります。

信長は、秀吉よりも光秀を重宝していたように感じます。

光秀が仕官したのは、光秀が40歳の時です。

今の世なら、50歳過ぎのイメージです。

前将軍 足利 義昭(Wikipedia)

特に名声のない50歳過ぎの途中入社組の人が、急出世して専務取締役になったような話です。

重要なのは紹介者が時の将軍・足利義昭であり、「総理大臣の紹介」とも言えます。

なんと言っても、
私は将軍になるのだからな!

織田家に仕える時点で、超強力なバックを持っていた光秀。

坂本城の存在は「いかに光秀に能力があり、いかに信長に買われていたのか」を如実に示します。

新歴史紀行

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