前回は「本能寺の変 2〜キリシタン勢力と本能寺の変の関係〜」の話でした。

今回は、明智光秀を考えます。
そもそも、明智光秀がどのような人間だったか、を考えます。
本能寺の変に限らず、明智光秀個人に関しても、様々な本が出ています。
歴史道の特集が示唆に富むので、ご紹介します。

本書の中で、光秀の経歴や本能寺の変に関する考察が多く掲載されています。
「明智光秀と羽柴秀吉が、光と影のように対照的に描かれているが、違うのではないか?」という指摘があります。
僕も同感です。
羽柴秀吉は根もあるでしょうが、出来るだけ明るく振る舞っていた感じです。

対して、明智光秀の一般的なイメージは、「教養人で少し暗い、真面目な人柄」という感じでしょうか。
司馬遼太郎の「国盗り物語」でも、大体このイメージは踏襲されています。
光秀は「教養人」で、どちらかというと内政・外交が得意な人柄に描かれています。

比叡山の焼き討ちで信長を諌めに行って、蹴り飛ばされたように描かれています。
実際は正反対で、光秀は比叡山焼き討ちには賛成で、積極的に進めたようです。
比叡山というと、宗教の総本山で崇高な感じもしますが、それは表の顔でした。
室町時代から戦国期にかけては、周辺に広大な荘園(領地)を抱えて多額の現金をもち、現在では考えられないような高利で貸金業をやっていたのが実態です。

「総本山」というのは表の顔で、実際はかなり悪どい部分もあったようです。
戦国武将であれば、誰でも領土やお金は欲しい。
どうしても、戦国大名と寺社勢力とは利害関係が対立します。
明智光秀が、比叡山を潰すのに積極的になるのは「むしろ当然」でした。