前回は「織田信長の夢の跡:たそがれの安土城址」の話でした。
新たな拠点へ移動し続けた信長
「天下統一目前」まで行った織田信長。
羽柴(豊臣)秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信など名だたる武将たちとは、一味も二味も違いました。
清洲、小牧、岐阜と
本拠地を移転してきたが・・・
そして、1575年に、長年の強敵・武田家(勝頼)を長篠の戦いで打ち破り、「天下が見えた」信長。
その翌年の1576年には、
岐阜城に本拠地を移転したのが、
1567年・・・
それから、もう9年が
経過したのか・・・
「時の流れ」を考えた信長。
天下統一に向けて、
さらに本拠地を移転する!
そして、そこでは完全に新たに
余が街をつくるのだ!
小牧山へ移転した際も、新たな街を作りだしたのが信長でした。
そして、岐阜城から「次を睨む」べく拠点を移すことを真剣に検討を始めました。
岐阜城に移転してから、楽市楽座などで「新たな街づくり」を実行した信長。
実際には、旧来からの座を認めた点もあり、元々斎藤家の頃から発達していた岐阜(稲葉山)。
「新たな街づくり」は、「既存の街」を踏襲してのことでした。
今度こそ、
一から城と街をつくる!
余の世界観を
その城と街に具現化するのだ!
大いに張り切った信長でした。
覇王織田信長の強烈な世界観・安土城模型
京に近くて、
京へ琵琶湖の水運で直行できる場所が良い・・・
この地を「安土」と名づけ、
新たな城と街を作るのだ!
南近江の六角氏が長年居城とした「観音寺城」に近い「安土」に、新たな城・本拠地を作ることを決心した信長。
安土城に行く機会がありましたら、ぜひ麓の「安土城天守 信長の館」にも行ってみてください。
この建物には、安土城の大きな復元模型があって、圧巻です。
内部も詳細に作り込まれていて、往時の雰囲気を感じることが出来ます。
煌びやかな安土城天守閣の雰囲気が、良くわかります。
この模型だけでも、「おっ!すごい!」という気持ちになります。
これが実際に建っているのを想像すると、
本当にこんなすごい城が、
中世日本にあったのか・・・
当時の偉容を思いながら、感動しました。
中央の巨大な吹き抜けは、
私の世界観を示している!
ここに、小さな「余だけの世界」をつくり、
やがて、日本中に余の世界観を広めるのだ!
安土城と欧州の城:信長が見ていた未来と世界
当時世界最先端のヨーロッパの宣教師たちが、安土城の豪華さや築城技術の高さに驚いたのも当然でしょう。
Azuchi Castle(安土城)のような城は、
欧州にもない・・・
これほど、豪華壮麗な巨城は、
見たことも想像したこともない・・・
信長の「世界観」を示す一つの、安土城にあった巨大な吹き抜け(推測)。
中央をつらぬき、四層にわたるド迫力の吹き抜けです。
これは、本当にすごいです。
このデザインを考えたのが、信長なのか棟梁の岡部又右衛門なのかは不明です。
具体的な意匠・デザインは岡部でも、デザインコンセプトを作ったのは、やはり信長なのでしょう。
こういう巨大な吹き抜けを
つくれ!
ははっ!
お任せ下さい!
構造や細かいところは、
汝に任せるが・・・
全体的に黒で統一し、
豪華な黄金を貼れ!
余の世界観を
具現化するのだ!
ははっ!
仰せの通りに!
安土城の基本的なデザインは、
余自ら行った。
細かいところは、全て奉行の丹羽と、
棟梁の岡部に任せたわ!
城の中に「信長の世界」を、生み出したのです。
ここに信長の世界観が感じられます。
豪華絢爛たる大きな吹き抜けをもつ空間、これこそ織田信長!という感じです。
南蛮にもない
城を作るのだ!
地上で
最高の城だ!
武田信玄や上杉謙信が、全く実行しなかった「本拠地の移動」を次々と行なった信長。
安土城を築城開始した1576年は、「織田の天下が見えてきた」頃でした。
その3年後の1579年に、高さ約32mの安土城が完成しました。
よしっ!
良い出来だ!
この日本人離れした強烈な世界観が、この模型から垣間見ることが出来ます。
本能寺の変勃発まで、3年間安土城を本拠地とした信長。
安土城の次に「大坂に本拠地を移動することを考えていた」とも言われます。
ここ安土城に「御所をもとに作った建築があった」説もあります。
この安土から、
世界へ!
大坂に移転する気持があった可能性が高いですが、1585年くらいまで信長は安土にいるつもりだったでしょう。
本能寺の変さえ勃発しなければ。
次回は上記リンクです。