徳川家康が東軍を指揮した床几場〜「天下取り」の戦いへ・「超歴戦の家康」のみが発した凄み・江戸から駿遠三経由して関ヶ原へ〜|「天下分け目」の関ヶ原2

前回は「美濃と近江の境界にある関ヶ原古戦場〜竹中重門陣跡への地元の思い・電車では難渋する古戦場訪問・「地域の中心地」が多い有名城郭〜の話でした。

目次

徳川家康が東軍を指揮した床几場:「天下取り」の戦いへ

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関ヶ原古戦場(新歴史紀行)

15年ほど前になりますが、関ヶ原古戦場を訪問しました。

電車で岐阜駅から関ヶ原駅に向かい、駅から関ヶ原古戦場へ向かうと、上のような標識に出会います。

家康、忠勝、長政などの著名武将と並んで、小身で著名とは言えない竹中重門の陣跡の表記から、

関ヶ原市

竹中重門の
名前をぜひ知って欲しい!

このような、地元・関ヶ原町の皆さんの気持ちが伝わってきます。

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関ヶ原古戦場(新歴史紀行)

更に進んでゆくと、関ヶ原を囲む岐阜と近江山々が見えてきました。

上の写真の通り、訪問した日は天候が良くなく、この後かなり大ぶりの雨となりました。

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関ヶ原古戦場(新歴史紀行)

更に進んでゆくと、ようやく誰かの陣跡に到着しました。

旗から、徳川家康の陣跡と思われます。

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関ヶ原古戦場(新歴史紀行)

周囲が囲われた中央に、盛り上がった部分があり、ここが徳川家康の床几場と伝わる場所です。

この地で徳川家康が、東軍の総大将として指揮したのでした。

名前生年
毛利元就1497年
北条氏康1515年
今川義元1519年
武田信玄1521年
長尾景虎(上杉謙信)1530年
織田信長1534年
島津義弘1535年
羽柴秀吉1537年
長宗我部元親1539年
徳川家康1543年
有名戦国大名の生年

著名な歴戦の戦国大名の中では、概ね「最年少」に当たる家康。

信長より9歳年下、秀吉より6歳年下の家康の、「天下取りの戦い」でした。

「超歴戦の家康」のみが発した凄み:江戸から駿遠三経由して関ヶ原へ

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左上から時計回りに、徳川家康、石田三成、毛利輝元、加藤清正(歴史群像シリーズ55 石田三成 学研、Wikipedia)

関ヶ原の戦いの場にいた戦国大名・戦国武将たちは、比較的若い武将が多いのが特徴でした。

戦国時代の「ど真ん中」を生き抜いてきた徳川家康。

諸説ありますが、「1543年生まれ」と言われる家康は、若い頃は織田と今川の人質でした。

徳川家康に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

家康が18歳(数え年、以下同)の時に、桶狭間の合戦がありました。

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桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)
徳川家康

この家康が
18歳の時、桶狭間で先陣を務めた・・・

徳川家康

その後、織田殿と
ずっと同盟を結んだ・・・

その後は、忠実過ぎる「異常に堅固な同盟」であった織田・徳川同盟を締結しました。

ある勢力と勢力が同盟、または不可侵条約を締結しても「長続きしない」ことが多いです。

戦国時代に限らず、その後の世界大戦の時期を考えても、「数年がせいぜい」であることが多い同盟。

諸説ありますが、1560年の「桶狭間」から、今川家と距離を置き始めた家康。

徳川家康

あの頃は、後継者の
氏真殿の動向を見ていた・・・

後世の視点から見ると、「桶狭間で今川が一気に瓦解」と表現されることが多いです。

その一方で、「本能寺」と違い、「純然たる後継者・氏真」が健在だった大大名・今川家。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護島津家・武田家・大友家・今川家・大内家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家・三好家
国衆(地侍)織田家・徳川家・毛利家・北条家・伊達家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

元々、駿河・遠江の守護であり、「足利将軍家に後継者を出せる」立場だった今川家。

その今川家が、「当主が討たれた」だけでは、瓦解するはずがありませんでした。

この頃から、「戦国随一の軍事的・政治的天才」を見せつける織田信長。

織田信長

この信長が、
100万石の今川義元を討ったのだ!

当時、「100万石」と呼称していたと言われる今川家は、実高は80万石程度でした。

それでも、当時35〜40万石程度であった織田家の倍以上の勢力だった今川家。

そして、「新参者」であった織田信長は、まだ27歳の年齢でした。

徳川家康

今川家は
どうなるのか・・・

超凡庸、というより「馬鹿者」と表現されることが多い今川氏真。

そして、それほど名将が多くなかったと言われる今川家でしたが、多少は名将がいたはずです。

ところが、不思議なほど大人しく「ほとんど何もしないまま」だった今川家に対して、

徳川家康

これは、西の若い
織田家と同盟を締結したのだ・・・

1562年、家康が20歳の時に、織田・徳川同盟を締結しました。

関ヶ原の戦場に向かう際、江戸から悠々と東海道を進んだ家康。

家康は、そんな「昔の思い出」を思い起こしながら、

徳川家康

あの頃、ワシは
若かった・・・

徳川家康

そのワシが
いよいよ、本当に「天下取り」か・・・

徳川家康

あるいは、失敗して、
この東海道を敗走するかもしれぬ・・・

こんなことを思いながら、関ヶ原に到着し、床几に座って指揮したであろう家康。

先ほどの「家康床几跡」からは、不思議な貫禄が感じられます。

戦国最後の「超歴戦の家康」のみが発することが出来た凄み、を。

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