前回は「『時代の狭間』に進水した『大艦巨砲主義の権化』戦艦大和〜射程およそ42kmの超巨大砲塔・美しい「バルバス・バウ」〜」の話でした。
「真珠湾」直後に連合艦隊旗艦となった戦艦大和

巨大な戦艦大和1/10の精巧な模型が展示されている、大和ミュージアム。

超巨大砲塔を3基9門を備え、前部に2基6門、後部に1基3門を備えていました。
そして、後部には甲板から一段下がって、偵察機などを射出するカタパルトなどを備えていました。

真珠湾奇襲攻撃が行われた1941年12月8日の直後、同年同月16日に就役・進水した戦艦大和。
戦艦大和の存在は「超極秘」とされ、帝国海軍の中でも一握りの将官のみが知っていました。
ランク | 名称 |
5 | 軍機 |
4 | 軍極秘 |
3 | 極秘 |
2 | 秘 |
1 | 部外秘 |
帝國陸海軍では、上記の5段階の機密設定がありましたが、戦艦大和は最高ランクの軍機でした。
そして、正式に進水後には、徐々に公開され、帝国海軍将兵を強烈に鼓舞しました。

おい・・・
あれが戦艦大和か?



とてつもなく
大きな巨大戦艦だな!



ああ・・・
あの巨砲で米海軍を叩き潰すのだ!



真珠湾では、空母航空隊が
大活躍だったが・・・



やはり、海戦の主役は
戦艦だよな!



そうよ!
世界一の巨大戦艦を手に入れた今・・・



我が帝国海軍が
世界一になったのよ!



確かに我が帝国海軍が
最強だな!
おそらく、大和が進水したのを見た帝国海軍将兵は、皆同じような気持ちになったでしょう。
世界最強「機動部隊+戦艦」を手にした帝国海軍:曖昧な帝国海軍


「戦艦から空母へ」の狭間だった当時、強力な空母航空隊を有した帝国海軍。
1941年当時、空母機動部隊において、帝国海軍の第一航空艦隊は間違いなく「世界最強」でした。
真珠湾奇襲攻撃と戦艦大和に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
当時「戦艦から空母へ」を敏感に感じていたのは、世界中の海軍将官の中でも一部でした。


かねてから、空母航空隊の育成に甚大な努力をしてきた山本長官は、



これからは、
空母と航空隊だ!
周囲から猛反対された「真珠湾奇襲攻撃」を強行しました。
そして、山本の「空母航空隊による米艦隊本拠地の奇襲攻撃」は、山本長官の悲願でした。



Japanの空母と
航空隊の攻撃力は凄まじい・・・
甚大な被害を受け、キンメル長官更迭後に米太平洋艦隊司令長官となったニミッツ。
もともと潜水艦乗りであり、米海軍省人事局など内勤も多かったニミッツの視野は広く、



これからは、
戦艦ではなく空母だな!
真珠湾の被害を確認した上で、「空母へ」と頭を切り替えました。



おいっ!これからは
空母と航空隊を主軸とするぞ!



はっ!Nimitz長官!
承知しました。
今も昔も、上下関係が、日本よりも遥かに厳しい米国。
米国においては、「上官の意思決定が全て」でありました。
対して、「上官の意思決定」の効力が曖昧であった大日本帝国。
それは、第一航空艦隊においても同様でした。


南雲長官よりも草鹿参謀長が、実権を持っていました。
さらに、草鹿参謀長よりも源田参謀、淵田飛行長が実権を持っていた面がありました。
このような「曖昧」な組織体制の中、帝国海軍は「大艦巨砲主義」から脱せない状況でした。


いずれにしても、世界最強「機動部隊+戦艦」を手にした帝国海軍。
は一時的に「世界最強」となりました。
そして、戦艦大和は、「世界最強」帝国海軍の象徴となりました。


その戦艦大和の「ありし頃の勇姿」が見れるのが、ここ大和ミュージアムです。