前回は「『真珠湾』直後に連合艦隊旗艦となった戦艦大和〜世界最強『機動部隊+戦艦』を手にした帝国海軍・曖昧な帝国海軍〜」の話でした。
極めて美しい戦艦大和のバルバス・バウの造形:理論から生まれた美

第二次世界大戦の時に、46センチ砲という超巨大砲塔を3基9門備えた空前絶後の超巨大戦艦大和。
その戦艦大和の1/10模型が、大和ミュージアムでは見られます。

戦艦大和といえば、超巨大砲塔ですが、同様に「大和の代名詞的存在」がバルバス・バウです。
流体力学から生まれたと思われるバルバス・バウは、極めて美しい造形です。
そして、この1/10大和においても、1/10バルバス・バウは精巧に再現されています。
基準排水量 | 64,000トン |
全長 | 263.0m |
幅 | 38.9m |
出力 | 153,553馬力 |
最大速力 | 27.4ノット(約50.8 km/h) |
航続距離 | 7,200海里(13,334km):16ノット(約30km/h) |
最大乗員 | 約3,300名 |
船が浮く原理は理解できますが、戦艦大和ほどの巨艦になると「浮くのが不思議」です。
基準排水量は64,000トンであり、浮くのが不思議な戦艦大和は、その速力が課題でした。

東京帝国大学(東大)造船科卒業を卒業し、海軍技師となった福田啓二 海軍艦政本部第四部基本計画主任。

大日本帝国海軍の
技術を総結集するのだ!



空前絶後の
巨大戦艦を設計するのだ!



そして、出来る限り
強い出力で、速度を大きくするのだ!
おそらく、コンピューターがなかった当時、極めて複雑な微分方程式を手計算で解いた海軍技師たち。
そして、様々な複雑な流体力学の理論や数式を駆使したのでしょう。
さらに、多数の実験を繰り返して、あのバルバス・バウの造形は生まれたと思われます。
幻となった戦艦大和の艦隊決戦


どこから見ても美しい戦艦大和の艦首およびバルバス・バウ。
この戦艦大和1/10模型を見ていると、戦艦大和が海を駆けてゆく勇姿が見えるようです。


陸軍と比較して、理数系の要素が強かった海軍士官たち。
海軍兵学校・海軍機関学校などを卒業した、海軍士官エリートたちは懸命な努力を続けました。



海に囲まれた
島国である我が帝国・・・



我が帝国を守るのは、
陸軍よりも、我が海軍なのだ!
そして、「大艦巨砲主義の極み」の結果生まれた巨大戦艦が大和でした。


そして、この巨大な船体を推進させた4つのスクリューも、丁寧に再現されています。
この精巧な1/10大和模型を見ていると、この4つのスクリューで推進力を得るのも不思議です。
そして、このスクリュー自体も美しい造形であると感じます。


進水時には、対空砲火が少なかった戦艦大和には、徐々に対空砲火が増設される工事が行われました。
そして、最終的には、上の写真のような「ハリネズミのような対空砲火」を持つに至った大和。
この「異様なほど多い」対空砲火の数こそが、戦艦大和の運命を暗示していました。



戦艦大和の巨砲で、
敵艦を叩き潰すのだ!



艦隊決戦において、
戦艦大和は最強のはず!
艦隊同士が真正面から戦う「艦隊決戦」を想定していた帝国海軍首脳部。
ところが、時代は「戦艦から空母」に移り、「艦隊決戦」の時代は終わっていました。
「見える艦隊同士がドカンと砲撃」で戦う艦隊決戦。
対して、空母機動部隊の戦いは「見えない艦隊同士が航空機の爆撃と雷撃」で戦う時代になりました。
さらに、潜水艦の雷撃が強力な時代となり、出番がなくなってしまった戦艦大和の超巨大砲塔。


戦艦大和は、一度も艦隊決戦を迎えることなく、米海軍機動部隊と戦い続けました。
その結果、1945年4月7日に米海軍の航空機による波状攻撃で撃沈されました。
帝国が敗戦を迎える4ヶ月ほど前のことでした。
2025年9月現在、リニューアル中の大和ミュージアム。
現在も1/10戦艦大和が見れる機会が多いですが、リニューアル後が楽しみです。
リニューアル後の大和ミュージアムを、ぜひ訪問してみてください。
次回は上記リンクです。