前回は「「戦国時代の最後を飾った」小田原城〜民衆重視と天下一の特大平城・「初の天守」生み出した松永久秀・「北条帝国」増強した氏政〜」の話でした。
北条帝国の力の源泉

現代でも広大な城である「天下一の特大平城」の小田原城。
外堀から入って、この天守に至るまでは、他の城と比較して多くの時間がかかりました。

「北条五代」の本拠地として、関東で強烈な輝きを放ち続けた小田原城。

我が北条の代名詞となる
巨大な城なのだ!
戦国時代において有名な城は多数ありますが、多くは戦国末期から織豊期、江戸期に建築されました。


現代において「城といえば姫路城」ですが、現在の姫路城が建築されたのは江戸初期です。


現存十二天守の一つの犬山城は、小田原城の頃にもありましたが、その規模は遥かに小さいです。



我が北条家は
関東の王なのだ!



そして、小田原城は
王の居城として相応しい城にするのだ!
戦国期に先駆けて成長した北条家は、戦国期を通じて「一定規模以上の大大名」であり続けました。
「戦国の最後」を飾るのに相応しいただ一つの城・小田原城


関東から旧勢力筆頭である、関東管領・上杉家の駆逐に成功した北条氏康。





関東管領上杉家は、
この長尾景虎が継いだのだ!



私は上杉政虎となって、
関東に君臨するのだ!
関東管領を駆逐したと思ったら、長尾景虎が「新・上杉家」として関東に乗り込んできました。
関東に大暴風が吹き荒れて、北条家の勢力は木っ端微塵にされてしまい、



くっ!
あの上杉を越後の長尾が継いだか・・・



はっは〜!
小田原城を落としてくれる!
北条家の勢力圏は、瞬く間に急速に減少してしまいました。
そして、意気揚々とした10万ほどの上杉軍に包囲された小田原城。



この巨大な小田原城で
必ず籠城戦に勝ってみせる!
軍事力においても「戦国筆頭格」だった北条氏康は、鉄壁の籠城の采配を採りました。



小田原城は、
落とせんか・・・



まあ良いわ・・・
仕方ない・・・
そして、上杉政虎は小田原城を落とすことを諦めて、撤退しました。
その後、武田信玄に包囲されたこともありますが、その際も切り抜け、「落城を免れた」小田原城。





小田原城の
北条を討滅し、天下統一だ!
そして、豊臣秀吉による小田原城攻撃によって、戦国時代にピリオドが打たれました。
上杉謙信・武田信玄など名だたる名将との戦いを切り抜け、最後は日本中の軍と戦った小田原城。
「戦国の最後」を飾る城は、「小田原城しかなかった」のが実態でした。
この意味では、「北条家に戦を吹っ掛けた」秀吉は、



戦国の最後は
野戦ではなく、籠城戦となる・・・



それには、戦国最大の
城である小田原城だ!
このように、「戦国の最後を飾る」城として、ただ一つだった小田原城を選んだ意図もあったでしょう。
北条の圧倒的諜報力支えた風魔軍団


小田原城天守の前では、ちょうど、風魔の劇が行われていました。
子どもから大人まで、男女のグループが風魔に扮して、様々な戦いを繰り広げていました。


小さな子どももいて、風魔らしく飛び回っている姿は圧巻でした。
訪れたのは、ちょうど桜の季節でしたが、この「風魔軍団」は小田原城などで活動を続けています。
謎が多い風魔は、数ある忍者の中でも最も「忍者らしい名前」とも言えます。



我が北条には、
風魔の忍びたちがいるのだ!



他の家にも忍びたちが
いるようだが・・・



我が風魔は、歴史も長く、
圧倒的な組織力と諜報力を持つのだ!
巨大な城・小田原城を持つ割には、比較的「地味な存在」である北条家。
その地味である理由の一つは、「織田家と正面きって戦う機会がなかった」ことでした。


どうしても、信長・秀吉・家康を軸に語られることが多い戦国時代。
近畿圏から少し遠く、織田家と領土を接する機会が少なかった北条家。





我が武田の力で
信長を倒すのだ!
初期は織田家と同盟関係にあった武田家は、早々に「反織田」の筆頭となりました。



信長とは
仲良くしていたが・・・
「反武田」で組んでいた上杉謙信も「織田領から遠い越後」が本拠地でしたが、



信長の軍を
木っ端微塵にしてくれる!
謙信は、晩年に加賀に乗り込み、手取川の戦いで織田家に勝利しました。



我が毛利も
ついに織田と戦うか・・・
諸大名が織田家と合戦する中、



我が北条は、
織田との関係をいかにすべきか・・・
「織田家と北条家の間に超強力な武田家」が存在し続けました。



我が北条は織田家に
誼を通じているが・・・
織田家とは「とりあえず友好関係」で「なんとなく従属」した直後に、本能寺の変となりました。



我が北条家が、
中途半端なことになってしまった・・・



とりあえず、
滝川を関東から駆逐するのだ!
本能寺の変直後の、北条家と織田家(滝川)の死闘を、上記リンクでご紹介しています。
この点では、「消化不良」だったに違いないのが北条家でした。
そして、北条家が「諸大名トップ」を維持し続けたのが、戦国最大の巨城・小田原城でした。
次回は、間違いなく「戦国の雄の一つ」であった小田原城の天守内に入ってゆきます。