前回は「米政府から「最も敵対視」されていた松岡〜松岡外相を見限っていたハル長官・ドイツの根幹に迫る「大島情報」・米ソに対する誤認識〜」の話でした。
自ら作戦立案した山本長官:「真珠湾」想定して猛訓練

後世の視点から見れば、「日米戦前夜」とも言える1941年6月27日。
RooseveltJapanとは
交渉の余地はないな・・・



あとは、いつJapanと
戦争を開始するか、だな・・・
すでにルーズベルト大統領は、日米戦を決定していたと思われます。





真珠湾奇襲攻撃に向けて、
猛訓練だ!
この頃、海軍では、まだ未裁可であった山本長官肝入りの真珠湾奇襲攻撃の猛訓練が行われていました。



真珠湾に停泊する
空母と戦艦をやる(攻撃する)のだ!



だが、真珠湾の基地付近は
水深が浅い・・・



浅い推進でも、攻撃力が
高い特別な魚雷を作り・・・



そして、その特殊な環境で
魚雷の命中率を上げるのだ!
とにかく、巨大な米海軍に対して、「緒戦で大打撃を与える」山本構想であった真珠湾奇襲攻撃。
「奇襲がお家芸」とも言える帝国海軍では、常道でありました。
| 海軍兵学校卒業期 | 職責 | 名前 | ||
| 28 | 軍令部総長 | 永野修身 | ||
| 31 | 海軍大臣 | 及川古志郎 | ||
| 32 | 連合艦隊司令長官 | 山本五十六 | ||
| 36 | 第一航空艦隊司令長官 | 南雲忠一 |
帝国海軍の最前線の最高指揮官であった、山本五十六連合艦隊司令長官。
山本長官の立場は、軍令部総長・海軍大臣の下でした。
そのため、本来は「作戦指示を受ける」立場であった山本長官。



永野さんの発想では、
米海軍に勝てん!



この山本が自ら全ての作戦を
立案して実行する!





「真珠湾」は、まさに
乾坤一擲の奇襲作戦だ・・・



桶狭間とひよどり越えと川中島を
一度にやるようなものだ・・・
「乾坤一擲の大博打」であった真珠湾奇襲攻撃の危険性は、山本長官が最も理解していました。
「信長+義経+謙信」目指した山本五十六:乾坤一擲の大博打「真珠湾」


「桶狭間」は、勢力の小さな織田信長が大勢力・大軍の今川義元を破った戦いです。
後に覇王となった織田信長は、この戦いで鮮烈なデビューを飾りました。
織田信長に関する話を、上記リンクでご紹介しています。


「ひよどり越え」は源義経が、一気に崖を駆け降りて平家の大軍を破った戦いです。
源平の合戦では、平家最後の「壇ノ浦」が最も有名ですが、戦史の中では「一ノ谷」の方が有名です。



急峻な崖だが、
鹿が降りられるということは・・・



馬も降りられる、
いうことだ!



皆のもの!
行くぞ!
そして、「背面を絶対攻撃されない崖」に陣取っていた、平家を背面から攻撃した義経。
この頃の義経は、信じられないほどの輝きを放っていました。
当時の義経の軍事能力は、「世界史上で考えても指折りレベル」でした。


「川中島」は、武田信玄と上杉謙信の死闘「川中島の戦い」です。



川中島の戦いでの、
あの謙信の凄まじい打撃力・・・
「川中島」は、武田信玄と上杉謙信のどちらを山本長官が意識したのか、判然としません。
おそらく「打撃力が強烈だった」上杉謙信を意識したでしょう。
第四次川中島の戦いで、武田軍の「キツツキ戦法」に対して、猛然と武田信玄の本陣へ突撃した上杉謙信。
このあたりは諸説ありますが、とにかく若き謙信が卓越した軍事力を見せつけました。
川中島の戦いに関する話を、上記リンクでご紹介しています。



信長・義経・謙信の能力を
併せ持つ軍事力を発揮しなければ・・・



超大国である米国に
勝つのは難しい・・・



だが、誰かが「信長+義経+謙信」に
ならなければ・・・



我が帝国海軍は、
米海軍に敗北するのは必至だ・・・
この頃の山本長官は、「対米戦猛反対」の立場を崩していませんでした。



米国に勝つのは
無理だ!



そのそも、そんな国家は
この世に存在しない!
その一方で、「対米戦決定」の場合には最前線の最高指揮官として「勝つ状況を作る」責務がありました。



なんとしても、
なんとしても、米海軍に打撃を!



それには、
これ(真珠湾)しかないのだ!
真珠湾奇襲攻撃に、異常なまでの強い熱意と決意を持っていた山本長官。





米国はソ連を
助けることは事実上出来ぬ!



そうかも知れぬが、
実際どうなのだろうか?
その一方で、帝国政府・大本営の大幹部たちは1941年6月27日も、会議を続けていました。



もうすぐ、世界最強の
戦艦大和が完成し・・・



我が帝国海軍は、
世界最強になるのだ!



独ソ戦は
短期に終わる!



流石に、ソ連はそんなに
簡単に屈服しないと思うが・・・



・・・・・
政府と軍が一体感を持っていた米英独などと比較すると、「政府と軍がバラバラ」な感じの帝国でした。



