前回は「武田信玄 8〜景虎を甘くみた信玄 4〜|戦国武将」の話でした。

この「絶対に負けれらない」というテンションが武田家および信玄側にあったのか、というと少し疑問符がつくでしょう。
信玄にとっては、川中島への侵攻は「自領の拡大」が目的でした。

景虎のように、

絶対に負けれらない!
とまでは考えてなかったでしょう。
この気持ちの違いが、川中島の合戦に現れたと思います。


川中島の合戦は、全体的には武田・上杉双方にとって引き分けとなりました。
最終的には、領土拡張に成功した武田家に「やや分がある」と考えられています。



勝ったぞ!
しかし、その代償は信玄にとっては大き過ぎたのです。



弟・武田信繁が討死してしまった・・・


北信のわずかな領土では、とても割りに合わないものであったでしょう。
信繁を失い呆然自失とした信玄は強い精神力で再起し、最終的には「やや勝ち」にまで持っていきます。
これこそ、信玄の真骨頂だったでしょう。



精神力は強いのだ!
しかし、信繁を失ったことは、武田家にとって山県・馬場らの四天王をまとめて失った以上の損失でした。
そして、後の義信事件の遠因となりました。
そして勝頼への継承となりますが、これも非常に中途半端な継承の仕方であり、武田家滅亡の原因ともなりました。

