武田信玄 9〜景虎を甘くみた信玄 5〜|戦国武将

前回は「武田信玄 8〜景虎を甘くみた信玄 4〜|戦国武将」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この「絶対に負けれらない」というテンションが武田家および信玄側にあったのか、というと少し疑問符がつくでしょう。

信玄にとっては、川中島への侵攻は「自領の拡大」が目的でした。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

景虎のように、

絶対に負けれらない!

とまでは考えてなかったでしょう。

この気持ちの違いが、川中島の合戦に現れたと思います。

川中島の戦い(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

川中島の合戦は、全体的には武田・上杉双方にとって引き分けとなりました。

最終的には、領土拡張に成功した武田家に「やや分がある」と考えられています。

勝ったぞ!

しかし、その代償は信玄にとっては大き過ぎたのです。

弟・武田信繁が討死してしまった・・・

武田 信繁(Wikipedia)

北信のわずかな領土では、とても割りに合わないものであったでしょう。

信繁を失い呆然自失とした信玄は強い精神力で再起し、最終的には「やや勝ち」にまで持っていきます。

これこそ、信玄の真骨頂だったでしょう。

精神力は強いのだ!

しかし、信繁を失ったことは、武田家にとって山県・馬場らの四天王をまとめて失った以上の損失でした。

そして、後の義信事件の遠因となりました。

そして勝頼への継承となりますが、これも非常に中途半端な継承の仕方であり、武田家滅亡の原因ともなりました。

武田 勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

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