中世を抹殺した男・織田信長〜武田討滅戦・信長が考えた「新たな世」と「日本という国家の姿」・天皇と信長・中世の権威・朝敵〜|織田信長3・人物像・軍事能力

前回は「戦国の覇王信長が見据えた未来と世界〜中世から次の世へ・信長が考えていた国のヴィジョン・室町幕府と足利将軍家の威光・征夷大将軍・関白・太政大臣・未来を考える信長〜」の話でした。

目次

中世を抹殺した男・織田信長:武田討滅戦

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

今回は「中世を抹殺した男」の視点から見た、信長の話です。

1582年の武田家討滅は、信長が「想定したよりも容易かつ短期間」に完了しました。

武田討滅戦に長男・織田信忠を総大将とした信長。

織田家後継者 織田信忠(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

我が織田が圧倒的な
力を持っている。

そして、
武田を朝敵指定して、万全の体制だ!

武田は内部から瓦解
するであろう・・・

だが、武田は
武田だ!

若い頃から、ある種の恐れを抱き、ある種の尊敬の念を持ち、そして激しく憎んだ武田信玄。

戦国大名 武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

あの信玄が死んで、
9年・・・

山県昌景、馬場信春たちも
長篠で倒した・・・

だが、武田は
別格だ!

よいか、信忠よ!
武田討滅には、慎重に、慎重に立ち向かえ!

ははっ!
承知致しました!

7万の大軍勢を信忠に預ける信長。

この戦は、勝頼の息の根を止める
戦いだ・・・

さすがに、武田家も
頑強に抵抗するだろう・・・

不安に感じた信長は、老練で軍事力と知謀に富んだ滝川一益を副将につけます。

織田家重臣 滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

一益よ!
信忠を補佐してくれ!

ははっ!
お任せを!

これでよし!
万全に万全を期した!

滝川一益を「副将」としたものの、実態としては、「滝川一益が総大将」の織田軍。

一益が居れば、
絶対に問題ないだろう!

ところが、この時の武田家の凋落ぶりは、異常なほどでした。

あの武田が、ここまで
弱体化していたとは・・・

弱体化した武田家

戦国大名 武田勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武田家の大きな弱体化の理由は、「朝敵指定」だけではなりませんでした。

戦国大名 上杉景勝(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

上杉家の「御館の乱」に介入した武田勝頼は上杉景勝側につきました。

我が武田は、
景勝殿を支援する!

武田の支援は、
非常に強力だ!

そして、北条氏政の弟である上杉景虎(子)を見捨てて、氏政を怒らせてしまったことも大きな要因です。

景勝側から莫大な金品と幾ばくかの領土を受領した勝頼は。

一方で、なんといっても北条氏を敵に回したのは最大の問題でありました。

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

勝頼め!
北条家を舐めるなよ!

1580年と1582年の織田家の領土と武将の配置図です。

1580年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)
1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

1580年時点でも巨大な領土ですが、2年の間に、東にグッと伸びているのがよくわかります。

武田氏討滅により得た領土は、石高としては徳川家に分与した駿河を除いて100万石程度だった織田家。

面積で比較すると、非常に大きく伸びています。

武田討滅後は、宿老 滝川一益を関東鎮撫役(関東管領的立場)として東国へ行かせて、差配させます。

関東は
一益にお任せを・・・

残る織田の敵:毛利

徳川家と北条家が同盟関係(従属)であり、大きな敵は毛利くらいです。

これで、余に楯突くのは、
毛利くらいか・・・

信長は、もうほとんど「天下を手中に入れた」気持ちであったでしょう。

これまで、実に多くの・・・・・
数々の敵を倒してきた・・・

室町幕府討滅・延暦寺焼討などを完膚なきまで実行した織田信長。

少し遠い目をして、

余も、
もうすぐ50か・・・

信長が、育て上げたとも言える羽柴秀吉・明智光秀・柴田勝家・滝川一益・丹羽長秀らの軍団長。

さらに、前田利家・佐々成政・佐久間盛政・川尻秀隆らの優秀な武将が、綺羅星の如くいました。

織田四天王(Wikipedia)

あとは、やつらに
任せておけば、天下統一だのう・・・

「中世を抹殺した男」の天下統一へ向けた「究極の仕事」。

天下統一は、もうすぐだ!
中世をぶち壊し、新たな世をつくるのだ!

それは、最終仕上げ段階に入っていました。

中世の権威:朝敵

戦国大名 武田勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

当時、信長が万全を期して、正親町天皇を動かして武田家を強引に朝敵にした信長。

余が新しき世を
つくるのだ!

「中世を抹殺した男」信長は、「中世の権威」を最大限に利用しました。

「朝敵」などという古めかしい
言葉だが・・・

まだまだ、天皇・朝廷の
権威は強い・・・

その「中世の権威」は
利用するのだ・・・

「武田を朝敵認定させた」信長は、

余がつくる新しき世界では、
余が最高なのだ!

天皇が最高の位置を占める
意味不明な世の中は、ここで終わるのだ!

と考えていました。

そして、

新しき世では、
天皇の権威は、まさに「形式」となる・・・

「朝敵」などという
言葉はなくなるだろう・・・

信長が考えた「新たな世」と「日本という国家の姿」:天皇と信長

天皇の権威が著しく落ちる「新しい世」においては、なくなりそうな「朝敵」。

ところが、織田信長が考えていた「信長による新たな世界」はやってきませんでした。

そして、信長が「消える」と考えていた「朝敵」は、なんと約300年後の1867年において「なお有効」でした。

左上から時計回りに勝海舟、岩倉具視、徳川慶喜、勝海舟(Wikipedia)

徳川慶喜は
朝敵だ!

余が朝敵・・・
なんということ・・・

「なお有効」どころか、徳川幕府討滅の「原動力」となった「徳川慶喜・朝敵指定」。

まさか、300年ほど後もなお「朝敵」が絶大な影響力をもつとは、信長は夢にも思わなかったでしょう。

・・・・・

この意味において、信長が変革しようとした日本という国家。

本能寺の変(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

あまりにも予想外の結果が、待ち受けていました。

この本能寺の変によって、「変わるはずだった」日本という国家の姿は、そのチャンスを失いました。

その結果、「日本という国家の姿」は「江戸時代末期まで大して変わらなかった」と言って良いでしょう。

「中世を抹殺した」信長の数々の所業は、「日本という国家」の最も根幹にある「天皇」に踏み込む寸前で頓挫しました。

天皇を、どう
うまく排除するか・・・

南蛮などの外国には、
余が日本の最高権力者であることを・・・

しっかり、はっきりと
認識させねば!

信長によって、「消される寸前」だった天皇・朝廷の高級公家たち。

正親町天皇(Wikipedia)

信長は、
我らをどうしようとしているのだ?

この意味において、「本能寺の変」の黒幕が天皇・朝廷である可能性は高いと考えます。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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