高知の街を睥睨する高知城天守閣〜土佐藩率いた板垣退助像・「合戦」同様だった捕鯨と土佐の歴史・土佐を育んだ山々と海〜|高知城10・土佐の象徴

前回は「当時最高高さ「6階建て」の高知城〜「一番の高さ」への一豊の思い・丁寧に造作された開口部・籠城戦に配慮した多数の板張付開口部〜」の話でした。

目次

高知の街を睥睨する高知城天守閣:土佐を育んだ山々と海

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高知城(新歴史紀行)

小高い丘の上にある「外観は4重、内部は3層6階建て」である高知城の天守閣。

街中から見ると、見上げるように高い天守閣です。

そして、高知城が建築された江戸初期では、最も高い建築の一つでした。

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高知城(新歴史紀行)

昔ながらの城郭建築で頻繁に見かける、傾斜が急過ぎる階段を上がってゆきます。

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高知城(新歴史紀行)

いよいよ、天守閣の最も高いところに来ました。

上の写真は、最初に高知城を見上げた街中を見る方向です。

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高知城(新歴史紀行)

反対側の街中から見たのが、上の写真であり、天守閣の高さが良く分かります。

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高知城(新歴史紀行)

天守閣周囲の高知城の様子がよく分かり、土佐を育んできた山々が美しいです。

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高知城:山内一豊像(新歴史紀行)
山内一豊

どうだ!
高いだろう!

山内一豊

徳川の時代となり、
平和な時代となった・・・

山内一豊

豊臣の家臣であったが、
今は徳川の家臣の山内家だ!

山内一豊

新たな時代に相応しい
城を普請したのだ!

このような山内一豊の叫びが聞こえてきそうです。

土佐藩率いた板垣退助像:「合戦」同様だった捕鯨と土佐の歴史

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高知城(新歴史紀行)

天守閣から降りると「東多聞」と呼ばれる、低層の建物があります。

この「多聞」という言葉は仏教用語であり、「毘沙門天」や「多くの教えを聞くこと」を示します。

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戦国大名 上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

上杉謙信が深く信仰した毘沙門天は、いかにも強そうであり、毘沙門天につながる多聞という言葉。

この「多聞」という言葉は、「強そうで縁起が良い」ので櫓などに多用されました。

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山口多聞 第二航空戦隊司令官(Wikipedia)

大東亜戦争で活躍した山口多聞もまた、この多聞に連なる名前です。

真珠湾奇襲攻撃における、山口多聞に関する話を上記リンクでご紹介しています。

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高知城(新歴史紀行)

東多聞の内部には、「土佐と鯨」に関する展示が多数あります。

「土佐といえば鯨」と言っても良いほど、鯨が重要だった土佐。

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高知城(新歴史紀行)

鯨を取るのは、文字通り「戦い」であり、「合戦」でした。

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高知城(新歴史紀行)

農耕民族である日本人にとって、捕鯨は最も危険な食料確保の手段だったでしょう。

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高知城(新歴史紀行)

巨大な鯨を倒した後は、大きな刃物で解体して、その肉を食用としました。

また、江戸時代には鯨の油を活用して、火や炎とする活用法も重要でした。

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高知城(新歴史紀行)

小さな規模ですが、こちらも天守閣同様、「昔のままの作り」で、日本古来の建築空間です。

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高知城(新歴史紀行)

東多聞は、上の写真のように、石垣と石垣の間に掛けられた橋のような構造です。

スパンがかなり飛んでいるので、平屋といども木造で作るのは、かなりの技術が必要でした。

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高知城(新歴史紀行)

天守閣と東多聞を訪問した後は、高知城を下ってゆきます。

降る途中、天守閣を見上げたのが上の写真で、やはりかなり高く、かなりの威圧感があります。

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高知城(新歴史紀行)

高知城の麓には、板垣退助の銅像があります。

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高知城(新歴史紀行)
名前生年所属
大村 益次郎(村田 蔵六)1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
江藤 新平1834佐賀
坂本 龍馬1835土佐
板垣(乾) 退助1837土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末維新の志士たちの生年

幕末において、多少地味な存在となった板垣(乾)退助。

板垣退助

板垣死すとも
自由は死せず!

この言葉が有名ですが、幕末維新では土佐藩を率いるトップクラスの将軍でした。

いわば、土佐は「板垣に率いられた」と言っても良い極めて重要な存在でした。

戦国から江戸、そして幕末維新まで味わえる高知城。

ぜひ、高知訪問の際には、高知城を訪れて下さい。

次回は上記リンクです。

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