前回は「江戸初期の大砲の砲撃に耐えられる堅牢な高知城〜籠城戦の変化・金物が多い城郭建築・柔構造と剛構造〜」の話でした。
当時最高高さ「6階建て」の高知城:「一番の高さ」への一豊の思い

かなり太い柱が均等にたくさん並んでいる高知城。

高知城建築当時は、少数派であったと思われる柱梁接合部の金物も多数見受けられます。
かなり頑丈な作りになっており、当時の大砲による砲撃にもある程度耐えられる設計でした。

高知城の天守閣を支える柱を間近で見ると、かなりの迫力があります。
そして、柱同士のピッチがかなり小さく、2間(3.6m)弱のピッチでグリッド状に配置されています。

「外観は4重、内部は3層6階建て」である高知城の天守閣。
高知城が建築開始された1602年頃、日本に於いて最も高い建物は大坂城(豊臣)と思われます。
「5層6階建て」と伝わる大坂城は、高知城よりも規模・広さが大きいです。
規模は大坂城より小さいですが、「6階建て」の点では同等であった高知城。
建築当時「日本で最も高い6階建て」であった天守閣には、山内一豊の思いが見受けられます。

山内一豊この山内家の
高知城は、最も高い6階建てとする!



「あの山内家の高知城」と
皆に言われる城にするのだ!
一般的な民家は、ほとんど平屋だった当時、小高い丘の上に立つ6階建ての高知城は目立ったでしょう。
いわば、当時最新鋭の建築構造技術が盛り込まれているのが、高知城天守閣です。
丁寧に造作された開口部:籠城戦に配慮した多数の板張付開口部


さらに天守閣を登ってゆくと、上の写真のような開口部も綺麗に残されています。
建築の開口部は、現在ではガラスを使用した窓であることが多いです。
高知城建築当時は、ガラスは欧州などで生産されていましたが、食器などが多い状況でした。
そして、当時の日本ではガラスは一般的ではなく、建築にガラスが使用されるのは近代以降です。
高知城が建築された江戸初期、自然光と風を取り込む開口部は、上のように戸を開くタイプでした。
現在の「突き出し窓」のような開口部は、シンプルで丁寧な造作となっています。


他には、奥深い開口部があり、内部に幾つかの扉のような板が見受けられました。
籠城戦の際、天守閣内部から外部の敵の位置を確認して、攻撃する必要があります。
その際に、「開口部から外部を見る」ことになりますが、開口部は天守閣の弱点となります。
文字通り「開口部」は「開いている状態」となるので、そこから銃撃などされる弱点となります。
そこで、開口部は「開けるが防御にも配慮」とすると、上のように何重かの板による防御になりました。


昔の城郭建築では定番の「急傾斜すぎる階段」は高知城にもあります。
ざっと見るところ、60度を超えていそうな階段の傾斜です。
実際に登り降りすると、かなり緊張感のある階段です。


いよいよ天守閣の上層に来て、最上層に近づいてきました。
平面的規模が小さくなり、露出している柱も少なくなってきます。
そして、上の写真のように、かなり梁性(高さ)が大きい頑丈な梁が上層部を支えます。
上層になるにつれ、梁の存在感が強まってくる印象があります。
次回は、天守閣最上層から、周囲の高知の街並を見ましょう。
次回は上記リンクです。


