前回は「土佐から伊予へ向かった「龍馬決死の脱藩行」〜陸の山中の隠密行動・謎に満ちた「龍馬脱藩行の経路」〜」の話でした。
坂本龍馬の原動力の一つ「脱藩の決意と実行」

愛媛県川辺町にある坂本龍馬脱藩之日記念館を訪問しました。

「坂本龍馬といえば、桂浜」であり、桂浜は高知県中心部から近いため、多くの人が訪れます。
荒い波が特徴である桂浜からは、広大な太平洋を臨むことが出来、当時の龍馬の思いを感じられます。

バブル期に建築された坂本龍馬記念館は、ある意味「龍馬らしさ」を具現化したデザインです。
他にも、坂本龍馬に関する記念館等が高知市周辺にあり、「龍馬の足取り」を感じることが出来ます。
桂浜で「龍馬の思い」を感じることも重要ですが、なんといっても「龍馬の原動力」は脱藩です。


大商人の才谷屋出身だから、
お金には困らないぜよ・・・
土佐で有数の大商人であった才谷屋に連なる坂本家出身の龍馬は、お金に恵まれた環境でした。



だが、下士だから、
土佐では活躍できないぜよ・・・
どの藩でも身分秩序が厳しい時代でしたが、土佐藩での「上士と下士の差」は巨大でした。
薩摩や長州においては、「上士と下士」は「武士の上と下」の程度でした。
ところが、「上士と下士」は、「人間=武士と人間以外」ほどの違いがあった土佐。
こんなところにいて、活躍は不可能であり、



こうなったら、土佐から
脱出するまで!



土佐から脱藩して
やるのだ!
龍馬がこのように考えたのは、ある意味では「当然」でありました。
名前 | 生年 | 所属 |
大村 益次郎 | 1825 | 長州 |
西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 |
中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 |
高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
この脱藩の決意と実行は1862年のことで、坂本龍馬が27歳の頃でした。
「反幕府の本丸」長州へ向かった龍馬


龍馬脱藩行の川辺町にある「坂本龍馬脱藩之日記念館」は、龍馬脱藩の真っ只中」にあります。
広い海は一切なくなり、山と川に囲まれた地域です。





まずは
長州へ!
早い時期から、「反幕府」「攘夷」の姿勢を明らかにしていた長州。
当時、「脱藩する」ことは「徳川幕府の体制に逆らうこと」であり、「反幕府」以外にありませんでした。



土佐藩の秩序に
逆らう、ということは・・・



徳川幕府を
潰すしかないぜよ!
若き20代後半の坂本龍馬は、こう考えたでしょう。
この時、脱藩した人物が向かう先は「長州しかなかった」のが現実でした。
そもそも、脱藩は「その藩の犯罪者」であり、他の藩から見れば、「龍馬=土佐脱藩者」は、



土佐藩を脱藩した
人物だと・・・



そんな人物を保護したら、
土佐藩と揉めてしまう・・・
他藩から見れば「厄介者」以外の何者でもありませんでした。
歴史を回天させた脱藩行


すでに、安政の大獄によって、吉田松陰たちが刑死していた1862年。


久坂玄瑞・高杉晋作らの「松下村塾出身者」たちが、暴れ回っていたのが長州藩でした。
「松下村塾出身者」の中で「最右翼」であった久坂玄瑞に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



我が長州藩は、
村塾出身者が引っ張るのだ!
坂本龍馬の5歳年下であり、まだ20代前半であった久坂玄瑞。
若いながら、極めて優秀であり「吉田松陰の後継者」であった久坂は、すでに名士でした。
そして、坂本龍馬と久坂玄瑞が手紙のやり取りをした記録が残っています。
おそらく、龍馬の脱藩行の際は、



我が土佐藩を
脱藩して、長州に向かいたいぜよ・・・



反幕府の若者は、
長州は優遇します!



ぜひ、
長州へお越しを!
このように、龍馬は長州の久坂らに事前に打診をしていたでしょう。
当時、徳川幕府とは「不倶戴天の敵」となり、諸外国とも戦っていた長州。
長州にとっては、「有為の他藩の人物」は、喉から手が出るほど欲しかった人材でした。


土佐藩を脱藩した「犯罪者」坂本龍馬は、伊予の河辺周辺の山奥を彷徨い、瀬戸内海へ向かいました。
瀬戸内海の「江湖」という地域から、「長州の上関に向かった」と伝えられる坂本龍馬。
これは、当時の「長州藩のかたち」を考えると妥当です。
その一方で、「どう船を調達したか」は大いに残る疑問です。


ここ坂本龍馬脱藩之日記念館では、坂本龍馬脱藩行の「ひとつの経路」が詳細に展示されています。
そして、龍馬の脱藩行の経路が立体的な模型と、高さと方向のみを取り出した模型で示されています。


上の写真のように、龍馬がどの地点を「いつ通過したか」が展示されています。
この「龍馬が、いつ、どこを通過したか」に関しては、資料が残っているはずがありません。
そのため、いずれも「一つの仮説」に過ぎないと思われますが、龍馬脱藩行がリアルに感じられます。
幕末維新好き、龍馬好きの方は、ぜひ坂本龍馬脱藩之日記念館へ。