前回は「「書生軍団の筆頭」久坂玄瑞〜久坂や高杉の瑞々しいエネルギー・ほぼ全員松下村塾出身の長州藩士たち・過激過ぎる松陰に師事を決意〜」の話でした。

吉田松陰の妹・文と結婚した久坂玄瑞:完成した松下村塾の骨格

松下村塾に入塾することに決めた久坂青年。

吉田先生の元、松下村塾で
学ぶのだ!
1840年に生まれた久坂義助(玄瑞)は、吉田松陰と時制に関して、手紙のやり取りをしました。



君の思慮は
浅い!



この私の考えは
甘いですのですか!
そして、手紙で反論され続け、挙げ句の果てには「ダメ出し」された久坂玄瑞。
若い頃から優秀だった久坂は、多くの同世代から敬意を持たれていました。
1856年頃から、吉田松陰と「手紙での戦い」を続けた久坂は、



吉田先生は高名だが、
私もかなり学んでいて、自信はある!
かなりの自信を持って吉田松陰へ、戦いを挑んだことでしょう。
対して、「人を見る能力」においては、当時最強レベルであった吉田松陰は、



この若者は、鍛えれば
必ず伸びる・・・
久坂と「手紙での戦い」の中で、久坂の非凡な能力を一発で見抜き、



我が松下村塾で
学ばせれば、必ず時代を動かすだろう・・・
吉田松陰は、久坂の秘めた「時代を動かす力」に大いに期待したのでした。
そして、翌1857年、久坂は吉田松陰の元を訪れ、



松下村塾で
学ばせて下さい!



よしっ!
一緒に学びましょう!
松下村塾に正式に入塾したのでした。
この「久坂玄瑞の松下村塾入塾」は、幕末維新の時代における極めて大きな節目となりました。
もともと久坂を大いに気に入っていた吉田松陰は、



我が妹・文と
結婚してもらいたい・・・



ははっ!
喜んで!
正式入塾してまもない18歳(数え年)の久坂青年に妹を嫁がせました。
吉田松陰としては、



久坂くんには、我が右腕と
なって、世を動かして行くのだ!
このように「久坂を補佐役として、世を動かす」考えがあったのでしょう。
まさか、二年後に安政の大獄で刑死するとは夢にも思っていなかった吉田松陰。



これで、我が松下村塾グループの
骨格が整った!
「妹・文と久坂の結婚」によって「松下村塾グループの骨格」が成立しました。
松下村塾の教えの代名詞「飛耳長目」


そして、松下村塾で懸命に学び始めた久坂玄瑞。
もともと、松下村塾は、吉田松陰の叔父である玉木文之進が設立した塾でした。
当時は、全国各地で藩校以外の私塾が百花繚乱の如く、登場した時代でした。
「塾の設立」に関して、「藩への届出」が必要であったかどうかは不明です。
筆者は、「藩への届出は必要なかった」と思います。
それでも、「何らかの組織を一から作り上げる」ことは大変なことであり、



叔父の玉木文之進が
設立し、休眠状態の松下村塾・・・



この松下村塾を
我が塾としよう・・・
玉木自身は、



ああ、松蔭か・・・
どうぞ、松下村塾を活用してくれ!
自分が作った松下村塾が、「日本史上、最も有名な塾」になるとは、夢にも思わなかったでしょう。
名前 | 生年 | 松下村塾 |
吉田 松陰 | 1830 | ◯(指導者=先生) |
木戸 孝允(桂小五郎) | 1833 | – |
前原 一誠 | 1834 | ◯ |
入江 九一 | 1837 | ◯ |
山縣 狂介(有朋) | 1838 | △ |
高杉 晋作 | 1839 | ◯ |
久坂 玄瑞 | 1840 | ◯ |
伊藤 博文(俊輔) | 1841 | ◯ |
吉田 稔麿 | 1841 | ◯ |



良いか、みんな!
色々な書物を読み・・・



様々な情報を
得ることが重要なのだ!



この吉田松陰は、
飛耳長目を極めて重視する!
吉田松陰は、過去の書物や当時進行中だった様々なことを「まずは知ること」を重視しました。
・何事も行動を起こすが重要であり、そのために綿密な準備が超重要
・そのためには正確な情報が必要で、遠い事柄を見聞きする耳や目で敏感に観察することが最善
「飛耳長目」は、吉田松陰が作成した言葉ではなく、従来からある言葉です。
当時、諸国を広く見聞し、米国への密航を図った「とにかく実行派」であった吉田松陰。
吉田松陰の思考を端的に表している「飛耳長目」は、松下村塾の教えの代名詞となっています。
この「耳や目で敏感に観察」は、現代では当たり前ですが、きちんと実行することは難しいです。
人間が持つ五感のうち、「視覚」と「聴覚」を極めて重視した学習でありました。
この「飛耳長目」の「飛」こそ、吉田松陰の思想を端的に表していると考えます。



思考を遠くに飛ばし、
思考を飛躍させるのだ!



吉田先生の仰る通り、
「飛耳長目」を最重視しよう!
吉田松陰と久坂玄瑞という「10歳差の師弟関係」は、年齢的にもちょうど良い形でした。





私は、別に松下村塾生では
ないが・・・
いかに吉田松陰が優れていようと、



吉田松陰先生が
大変優れた人物であることは分かっているが・・・
「松陰が3歳年上」であった桂(木戸)にとって、「師事」は難しい状況でした。
この中、吉田松陰に「特別に目をかけられた」久坂玄瑞は、



松陰先生の
妹さんを妻にした!



とにかく、吉田松陰先生に
ついてゆくのだ!
「松下村塾の柱」となり、懸命に吉田松陰に学び続けました。
極めて早い時期に「妹を久坂に嫁がせる」判断をした吉田松陰。
この判断こそが、松下村塾の飛躍の最大の理由の一つでした。