前回は「「真田の総本山」上田城〜抜群の光放つ真田家の知謀と軍事力・不気味な緑色に濁る堀・異彩放つ「真田らしい」堀〜」の話でした。
「現存十二天守」と「天守国宝指定五城」の松本城

上田城を訪問した旅の際に、松本城を訪問しました。
戦国時代が好きな人ならば、ほとんどの人が知っている上田城。
上田城と比較すると、松本城は「戦国時代のストーリー」に、あまり登場しない印象があります。
その一方で、松本市の中心部にある松本城は、圧倒的知名度があり、いつも混雑しています。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・高知城(高知県高知市)
・弘前城(青森県弘前市)
・松山城(愛媛県松山市)
松本城が注目される、もう一つの大きな理由は「現存十二天守」の一つ、です。
この「現存十二天守」の一つだけでも、松本城は極めて重要な城ですが、もう一つ大事なことがあります。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
それは、松本城が「天守国宝指定の五城」の一つであることです。
「天守国宝指定の五城」彦根城を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。
「天守国宝指定の五城」姫路城を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。
この「日本で五つしかない天守国宝」の城が松本城であり、この事実が多数の観光客を惹きつけています。
平成に復元された太鼓門:明治新政府に思惑と廃城令

松本城入口である太鼓門枡形は、一の門、二の門、枡形からなります。
明治4年(1871年)に一度取り壊された門は、つい最近の平成11年(1999年)に再建されました。
版=版図・領土
籍=戸籍・領民
・世襲制であった大名から、知藩事(現在の知事)は「政府の任命」へ:大きな前進
・実態は大きくは変わらなった:一定の停滞
当時は、1869年に版籍奉還、1871年に廃藩置県が行われ、一気に国家像が変化した時代です。
・かつて独立国のようだった「300ほどの各藩」を解体し、中央集権化
・薩摩のみは「中央の意向に従わない」姿勢で独立体制堅持:「討幕第一」の薩摩意識
それまで、250年以上に渡り、江戸時代は「藩の城を中心とする国家像」でした。
そして、1873年には「廃城令」と呼ばれる法令が交付されるに至りました。
・陸軍省へ:全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム
・大蔵省へ:全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ廃止ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム
正式には「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」と言う名称の廃城令。
この法令によって、多くの城や陣屋が取り壊され、残ったのは「ほんの一部の城」となってしまいました。


不平氏族たちが蜂起した際、
各地の城を拠点にする可能性がある・・・



新たな時代になるのだから、
城は一気に減らすのが良い!
この「廃城令」は、明治新政府が「不平士族たち蜂起の拠点」となることを恐れた、と言われています。
「武士中心の封建時代」から「天皇中心の新たな時代」となり、「武士の象徴を消す」意味もありました。
・「武士中心の封建時代」から「天皇中心の新たな時代」:江戸時代と武士の象徴の抹殺
・武士や藩をなくし、新たな国家像へ:「不平士族たち蜂起の拠点」の撲滅
廃城令の2年前の1871年に、松本城の太鼓門が取り壊されたのは、「廃藩置県に合わせた」と思われます。
一度は取り壊されたものの、現代は、こうして「松本城の顔」として優美な姿を見せてくれます。


松本城を取り囲む堀は、上田城とは大きく異なり、綺麗な水面です。
石垣が水面に映えて、とても美しいです。


堀では、亀も泳いでいて、透明感もある水は綺麗です。


さらに松本城内を進むと、木造の大きな門が見えてきました。
次回は、さらに松本城の内部へ入り、国宝の天守へ向かいます。