前回は「本能寺の変 2〜キリシタン勢力と本能寺の変の関係〜」の話でした。
明智光秀の性格と雰囲気:根が暗い光秀と根が明るい秀吉?
今回は、明智光秀を考えます。
そもそも、明智光秀がどのような人間だったか、を考えます。
本能寺の変に限らず、明智光秀個人に関しても、様々な本が出ています。
歴史道の特集が示唆に富むので、ご紹介します。
本書の中で、光秀の経歴や本能寺の変に関する考察が多く掲載されています。
「光と影」のように、対照的に描かれていることが多い明智光秀と羽柴秀吉。
私は落ち着いた
インテリのように表現されることが多いようですね・・・
戦国期の最下層から、成り上がった
私は、お茶目な感じで描かれることが多いみたいだ・・・
根が明るい羽柴秀吉に対して、根が暗いに描かれることが多い明智光秀。
それは、明智光秀が「主殺し」とも言える「本能寺の変」を引き起こした張本人であるからでしょう。
戦国時代の最下層が出身である羽柴秀吉。
対して、明智光秀は「明智城を持っていた明智家出身」と言われますが、真相は定かではありません。
斎藤道三と斎藤義龍が対立した際に、落魄したと言われる光秀の出身である明智家。
それは確実性に乏しいことで、光秀の出自は不明なのです。
明智光秀と羽柴秀吉と織田信長:国盗り物語のイメージ
羽柴秀吉は根もあるでしょうが、出来るだけ明るく振る舞っていた感じです。
対して、明智光秀の一般的なイメージは、「教養人で少し暗い、真面目な人柄」という感じでしょうか。
司馬遼太郎の「国盗り物語」でも、大体このイメージは踏襲されています。
光秀は「教養人」で、どちらかというと内政・外交が得意な人柄に描かれています。
軍人としても非常に有能であり、高い軍事能力を有していた明智光秀。
私は、教養が高く
政治力に長けているだけではない・・・
私の軍事能力を
信長様も買ってくださったのだ!
光秀の軍事能力は、
権六(柴田勝家)とも互する程だ!
特に、鉄砲に対する造詣、
鉄砲隊の運用はずば抜けている!
比叡山焼き討ち:積極的に焼き討ちに参加した光秀
比叡山を
焼き討ちにする!
浅井・朝倉側で、
我らに敵対し続ける叡山・・・
しかも、
奴ら坊主どもは、やりたい放題だ!
余が天罰を
下してみせる!
比叡山焼き討ちを決心した信長。
お待ちを!
叡山は、我が国の大事な・・・
この
馬鹿者めが!
信長を諌めに行って、蹴り飛ばされたように描かれています。
実際は正反対で、光秀は比叡山焼き討ちには賛成で、積極的に進めたようです。
信長様!
私が叡山を叩き潰して見せましょう!
よし、光秀よ!
叡山を叩き潰した後は・・・
そちに坂本を
任せる!
ははっ!
有難き幸せ!
比叡山というと、宗教の総本山で崇高な感じもしますが、それは表の顔でした。
室町時代から戦国期にかけては、周辺に広大な荘園(領地)を抱えて多額の現金をもっていました。
そして、現在では考えられないような高利で貸金業をやっていたのが実態です。
「総本山」というのは表の顔で、実際はかなり悪どい部分もあったようです。
戦国武将であれば、誰でも領土やお金は欲しい。
どうしても、戦国大名と寺社勢力とは利害関係が対立します。
叡山を叩き、
叡山の利権を我が手に!
明智光秀が、比叡山を潰すのに積極的になるのは「むしろ当然」でした。
次回は上記リンクです。